第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで) 6、オックスフォード運動(イギリス) 英国国教会内に様々な要素があったことが、このオックスフォード運動によって明瞭になる。英国国教会の枠組みから出たグループが非国教会系であり、彼らは教派…
第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)5、19世紀(イギリス) 18世紀の非国教会系の人達のペンから賛美歌が泉のようにあふれ出したのであるが、19世紀には、今度は英国国教会の作者達に中心が移り、それまでは教訓的、実用的な面が強かった…
第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)4、18世紀(イギリス) 18世紀のイギリスの賛美は、アイザック・ウォッツとチャールズ・ウェスレーを比較することで見えてくる面がある。二人は全く正反対の神学的立場を擁護する賛美歌作者と言えよう…
第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで) プロテスタントの讃美歌の歴史は、ドイツからイギリスに、イギリスからアメリカに移っていく歴史である。現在の日本の福音派諸教会における賛美歌のほとんどは、新しい音楽も古い音楽も、ドイツもの…
第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで) ここでは、宗教改革より出発した「賛美歌の歴史」を辿ってみたいと思う。ルター以降の「賛美歌の歴史」とは、ルターの礼拝改革により会衆賛美、自国語賛美が導入された結果、出て来た賛美歌のことで…
第五章 宗教改革と音楽2、カルヴァンと教会音楽 教会音楽史におけるカルバンの貢献は、詩篇の導入ということであった。カトリック中世において、「詩と賛美と霊の歌」の分類でいくと、「賛美」が進展したと思われるが、ちょうど、補囚の民が異国のシナゴグで…
第五章 宗教改革と音楽1、ルターと教会音楽 教会音楽史上、マルティン・ルターの大きな貢献は次の二つに尽きる。それは会衆賛美の導入と自国歌賛美の導入であった。と言うものの、すでに民衆レベルではいつでもこの二つを開始できる気運は高まっていたのであ…
第四章 中世カトリックの音楽2、聞く賛美 「人々」と教会音楽が切り離されたことによって、「人々」は、教会においては「歌う」賛美でなく、「聞く」賛美を捧げることとなった。歌うことのできる部分は、わずかにアーメン、ハレルヤ唱で声を合わせることのみ…
第四章 中世カトリックの音楽 新約聖書の時代の後の初代教父の時代は、ローマ帝国からの迫害のまっただ中であった。迫害を覚悟しつつ、あるときは小声で賛美せざるを得ない状況もあった。しかし、キリスト教の公認時代に入ると状況はがらりと変わる。自由に…
第三章 新約聖書の音楽4、三つの歌集C、霊の歌 それで、一番、理解の困難な歌集は、「霊の歌」である。先ほどの由木康氏は、「霊の歌」は「即興的に歌われた自由な歌」であるとするが、カリスマ運動の方々の一部の人たちは「霊の歌」を彼らの体験から出てき…
第三章 新約聖書の音楽4、三つの歌集 新約聖書中で賛美について、もっとも興味深い内容は、ピリピ3章16節とエペソ5章19節に登場する三つの歌集であろう。「詩と賛美と霊の歌」というこの三つの印刷されていない見えぬ歌集は、クリスチャン達の意識のなかで自…
第三章 新約聖書の音楽 前章では、旧約聖書の音楽の多様性について言及したが、「新約聖書の音楽」においても同様である。新約聖書の音楽は、キリスト教の宣教の拡大とともに、ユダヤ教の枠組みを超えていく意味で、旧約聖書の音楽以上に多様的である。ただ…
第二章 旧約聖書の音楽 もし、聖書が「楽譜つき聖書」であったなら、「誤りのない霊感された楽譜」を忠実に再現するかということに私達の関心が集中したことであろう。しかし、もしそうなら、音楽ほど世界宣教のお荷物となったものはないであろう。なぜなら…
さて教会音楽を学ぶにあたって、まずは「芸術」という用語に触れないわけにはいかない。一般音楽は「芸術」の世界のなかに教会音楽を包括しようとするからである。であるから教会においても、信仰抜きの「芸術」としての教会音楽が、堂々と土足で入って来る…
「教会音楽」や「礼拝学」は神学の分野では、「実践神学」に属する。「実践神学」とは「組織神学」と「聖書神学」と「歴史神学」の裏付けがあって初めて息を吹き出す神学である。しかし他の神学に従属する位置にある「教会音楽」「礼拝学」ではあっても、最…
はじめに 1980〜90年代、福音派系教会の牧師たちのなかでよく先輩たちから聞かされてきたことは、教会では音楽で問題が起こるから気をつけるように、というアドバイスであった。しかし2010年代になった今、私のなかでは音楽で問題が起こる理由は、教会の「礼…
私と教会音楽(戦後福音派の教会音楽を概観しつつ) 私と教会音楽との出会いは、日本MBの最初の牧師の子として育ったなかでのMB宣教師たちから受けた「福音唱歌」との出会いから始まる。多く福音派の牧師先生方はこの「福音唱歌」を位置付けできていないよう…
英会話の先生が、昨日、クリスマス曲のなかで一番好きな曲は何ですかと質問されたので「O Holly Night 」と答えました。そういえば、どの日本訳も印象深い訳なのですが、私が三谷幸子先生から教えてもらった津川主一訳「ふけゆく厳かの夜」は、ほとんど知ら…
日本聖公会聖歌集396 まるくなって手をつないで歌う歌として、最も歌いやすく、年代、文化を超えて気持ちに一つにしやすい曲だと思う。他訳もいろいろあるが、この訳がシンプルで良い。教会の「総会」で一年に一度、まるくなって手をつないで歌う歌として、…
日本聖公会聖歌集292は、ロンドンデリーの歌を葬送の歌にしている。故人に向けての歌であるので、讃美の形としては賛否もあろうが、葬儀に用いる讃美歌としてすばらしい歌だと思う。ただ、故人に対して、「友」と呼べる距離感にある人たちにとっては響く歌だ…
ある引退牧師が地域の祈祷会で、受肉の話をされた。日本人の作詞作曲者が少ない中、「まぶねのなかに」は、受肉したすばらしい賛美歌だという話だった。その先生は礼拝の会衆賛美で歌う歌を選ぶのに、説教にぴったりの賛美歌がなくて、毎回、選曲のために1時…
私たちの教団は聖潔派ではないのに、最も聖潔派の事情に影響された歌集の使用の仕方をしてきたように思います。つまり私たちの教団は、どの聖潔派よりも全面的に聖歌を使用し、全面的に新聖歌を使用してきたからです。聖潔派の団体である日本福音連盟が聖歌…
大阪ケズィックの歌集に加える曲などの検討をしなければならなくなりました。しかし、大阪ケズィックの伝統のようなものもありますし、大阪ケズィックを支える諸教会、諸教団、の事情をつかんでいないものですから、なかなか曲の検討は難しい感じがします。…
聖歌総合版を手に取って見ています。なかなかよくできています。 私たちの教団は、福音派が新聖歌に乗り替えた時、新聖歌を福音派の公同讃美歌にふさわしいと思っていましたので新聖歌に乗り替えました。私たちの教団も、中田羽後個人訳の世界から共同訳の世…
この曲を一度、武庫川キリスト教会でも賛栄として、チャレンジしてみたいのだが、するならば成功させたい。若い人たちを中心に、よく準備したものをゴスペル風でひっぱってほしい。ただ突然、賛栄で導入するには無理がある。それで最初は、祝祷のあとのアー…
久しぶりに、この曲を聞いた。以前はどこで聞いたのだろう。良い歌だと思った。中田羽後の口語訳はすばらしい。「イエスは神であるのに」も大好きだ。ただ口語訳で率直な場合、そのまま響いてくるので、本当にこの気持ちで歌っているのか、本当に自分は献身…
聖書(御言葉)の歌新聖歌36「われと主の間に」(選んだことがない) 聖歌時代から選んだことのない曲である新聖歌37「主の命の言葉を」(あまり選んでいない) 賛美歌系の有名な曲。短い曲なので工夫できるかも。新聖歌38「わが目を開きて」(何度か選んだ…
悔い改めの歌新聖歌32「御心を痛め」(選んだことがある)新聖歌33「われ罪人の頭」(まだ選んでいない)新聖歌34「主よ汝が前をば」(選んでいる)新聖歌35「告げよ主に」(以前選んでいた) 【悔い改めの歌で新聖歌から消えた曲】 聖歌416「犯した罪」(選…
新聖歌1「いざ皆きたりて」(選んでいる) 一番最初にあるので正月に歌う歌にしている。 おりかえしから、合唱風に歌うと盛り上がるが歌う人は少ない。 アイザック・ウォッツと救世軍歌の良いコンビネーション。新聖歌2「たたえよ救い主イエスを」(選んでい…
私たちは人同士で「〜してください」と率直に言えないものです。人への依頼は気を使うことでしょう。ですから「〜してくださいませんか」から始まり、いろいろな言葉の表現を加えていくのではないでしょうか。しかし、賛美や祈りに関しては、このような人同…