福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.7

第三章 新約聖書の音楽

4、三つの歌集

 新約聖書中で賛美について、もっとも興味深い内容は、ピリピ3章16節とエペソ5章19節に登場する三つの歌集であろう。「詩と賛美と霊の歌」というこの三つの印刷されていない見えぬ歌集は、クリスチャン達の意識のなかで自然と分類されていた歌集であったようである。であるから、この区別を現代の私達が正確に理解することは非常に困難である。トレンチという神学者は「この三つの言葉は、区別できるところまでは区別されている」と言っている。この三つの歌集は重なるところもあるであろうが、区別できる部分もまたあるということである。さて、このことを踏まえた上で、区別できる部分を推測していこうと思う。

a、詩

 詩というのは旧約聖書詩篇であることは間違いない。ダビデが個人的に作った詩篇は、その後「神殿音楽」の中核となっていき、また捕囚後の「会堂音楽」でも、地味な形で詩篇唱として人々の心に刻みこまれていった。そして、ペンテコステ以降はキリスト者の中の詩篇歌として歌い継がれていったのである。であるから、この詩篇というのは、あとに述べる他の二つの歌集に比べて、「長い歴史を誇る歌集」であるというのが特徴的なことである。様々な音楽形式と結合して、千年間も歌い継がれてきた稀に見る歌集であった。ただ当時の詩篇は、直接的には過去の派手な神殿音楽よりも、地味な会堂音楽における詩篇唱の流れを継承するものであったと思われる。回心したユダヤ人クリスチャン達はペンテコステ以降もユダヤ教会にしばらくの間出席していた。であるから、もちろんユダヤ会堂の詩篇唱を共に唱和していたであろう。ユダヤ教会の詩篇唱は彼等にとって、排除する理由のない形式であったので、恐らくその音楽形式がそのままの形で受け継がれて、ここで言う「詩」というものになったのではないかと思われる。この詩篇唱は今現在もユダヤ会堂においては唱えられているし、キリスト教会においては、形を変えつつも、詩篇は歌い継がれているのである。特に宗教改革時のジョン・カルヴァンジュネーブ詩篇歌は有名である。「聖歌」には、思いきって、最初の部分にジュネーブ詩篇歌が多く採用されている。

b、賛美

 日本の礼拝学、教会音楽の草分け的存在である由木康氏は、霊の歌が「成文化されていないキリスト者の歌」であったとし、賛美はそれに対して、「成文化されていたキリスト者の歌」であると言う。またある人は、「成文化されていたキリスト者の歌」であると同時に、「聖書中の詩篇以外の賛美」であるとしている。私はペンテコステに誕生したキリスト教会が詩篇唱だけを賛美したとはどうしても思えない。なぜなら、詩篇には、どこにも「キリスト」という名がない。ペンテコステの民は詩篇しか歌を知らなかったであろうが、彼らのキリスト経験のゆえに、「キリスト賛美」を欲したに違いないのである。さて、初代教会において、次のような賛美が成文化されていった。聖書の成立よりも以前かもしれない。その頃、賛美には次のようなものがあったことが確認されている。これらの賛美歌は、後には西方教会東方教会、新教のリタージカルな教会に受け継がれている。

 マニフィカート(わが魂は主を崇め)
     マリヤの歌、西方教会と英国教会では晩祷に用いられる。
 ベネディクトゥス(祝福あれ)
     ザカリヤの歌、西方教会と英国教会では朝の祈りに用いられる。
 ヌンク・ディミックティス(主よ今こそ僕らを去らせたまえ)
     シメオンの歌
     西方教会では終祷に、東方教会では晩祷に、ルーテルでは聖餐式式文に。
 グロリア・インエクセルシス・デオ(いと高きところでは、神に栄光あれ)
     ミサの通常式文に用いられる。
 グロリア・パトリ(父に栄光あれ)
     西方教会で小頌栄として用いられる。
 テル・サンクトゥス(聖なるかな
     ミサ典礼に用いられる。
 ハレルヤ
 キリエ・イレイソン(主よ憐れみたまえ)