福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.14

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)

 プロテスタントの讃美歌の歴史は、ドイツからイギリスに、イギリスからアメリカに移っていく歴史である。現在の日本の福音派諸教会における賛美歌のほとんどは、新しい音楽も古い音楽も、ドイツものでもイギリスものでもなくアメリカの讃美歌の影響下にあると言っても良いだろう。ドイツ時代には、もちろんルターの宗教改革の強いインパクトがあったが、同時に戦争の歴史でもあった。後には冷却正統主義と称されてしまう時代が到来し、その反動としての敬虔主義の時代が到来する。と同時にデカルトスピノザなどの哲学の影響がキリスト教流入し、啓蒙主義が拡大し、キリスト教は一種の哲学のようになっていった。それで当然のごとく讃美歌創作は下火となっていった。一時代に数曲ずつ拾い出してみようと思う。

1、ドイツ30年戦争時代(1618-1648)
パウル・ゲルハルト(1607〜76)、10歳頃に30年戦争に突入し、40歳頃に戦争は終わる。彼はドイツ聖歌作詞家の最高峰と称された。「愛唱聖歌詞100選」(教会音楽研究会発行)のp24-27に詳細の彼の証しが記されている。
「いばらのはりの」(聖歌155)、「血潮したたる」(讃美歌290、讃Ⅱ106、新聖歌114)は、後にバッハのマタイ受難曲に登場する。
「すべてのものの」(聖歌101)この曲はドイツ人が最も愛唱する夜の歌。夜のしじまの中、自らの魂と対話する内省的な歌。

2、ドイツ敬虔主義の時代(1666-)セバスチャン・バッハ(1685-1750)はこの時代である
・フリードリヒ・R・フォン・カーニッツ(1654〜99)
「きたりてたたえよ」(聖歌97)「わが霊、たたえよ」(讃美歌28)曲はハイドンの曲を編曲したもの
・ベニヤミン・シュモルク(1672〜1737)
「主よささぐる」(聖歌296)

・カタリナ・フォン・シュレーゲル(1697〜)敬虔主義的女性讃美歌作者。
聖歌訳では「しずかに待てわがたまよ」(聖歌309)であったが、新聖歌は讃美歌の歌詞である「安かれ わが子よ」(新聖歌303、讃美歌298)を導入。この曲は、後にシベリウスが「フィンランディア」に取り入れる。

3、ドイツ啓蒙主義の時代(18世紀以降)
 先に述べたように、啓蒙主義は讃美歌創作を減らしていった。その結果、この時期の讃美歌として有名なものはカトリックから生じた次の曲である。
・ヨーハン・W・ハイ(1789〜1854)
中田羽後訳の「きよしこのよる」(聖歌148)は新聖歌に導入されず、日本で一般的に普及している賛美歌の由木康訳の「きよしこのよる」(新聖歌77、讃美歌109、教会福音讃美歌93)が導入された。