福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.13

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)

 ここでは、宗教改革より出発した「賛美歌の歴史」を辿ってみたいと思う。ルター以降の「賛美歌の歴史」とは、ルターの礼拝改革により会衆賛美、自国語賛美が導入された結果、出て来た賛美歌のことである。ルター時代の賛美歌は宗教改革の息吹が力強く反映していたので、やや粗野な表現のものであった。時代を経て、次第に流麗で洗練された賛美歌が多くなっていった。そして、30年戦争の時代にそれが明瞭になり、後の敬虔主義的賛美歌へと繋がっていくのである。このような讃美歌の歴史を探りつつ現代にどのように歌継ぐかを研究する学問が「讃美歌学」である。

マルティン・ルター(1483〜1546)「神はわがやぐら」(新聖歌280)、「みかみはしろなり」(聖歌233)「ドイツ史上最高の時期に、最大の人物が書いた最も偉大な賛美歌」という定評あり。先に述べたように、この讃美歌は、一般の歌謡曲の替え歌である。ルターの宗教改革者としての聖化力がこの讃美歌を歴史に残した。他の替え歌はほとんど歌い継がれていない。誰もが認めるプロテスタント宗教改革の歌である。2017年宗教改革五百年の年に再び、ルターの霊性を復活させてほしいものである。


「神のわがやぐら」の原語からの訳(ウィキペデアより)
1.
私たちの神はかたいとりで
よい守りの武器です。
神は私たちを苦しみ、悲惨から
助け出してくださいます。
古い悪い敵はいま必死にあがいており、
その大きな勢力と策略を用いて
攻撃してくるので
地上の存在でこれに勝てる者はおりません。

2.
私たちの力は無にひとしいのです。
私たちは立ちえません。
けれども私たちに代わって戦ってくださる方がおります。
それは神ご自身が立ててくださった戦士であられます。
そのお名前を尋ねますか?
その御名はイエス・キリストです。
万軍の主なるお方であり、
神ご自身であられるお方です。
主は敵に譲ることはありません。

3.
悪魔が世に満ちて
私たちを飲み込もうとするときも
私たちは恐れなくてもいいのです。
私たちは敵に勝利します。
この世を支配するサタン、悪魔が
たけり狂っておそってくるときも
彼の手は私たちにとどきません。
彼は神のみことばの一撃で、打ち倒されてしまいます。

4.
世人たちがみな神のみことばをあざけり、
みことばをふみにじっておそれをしらないときであっても
主は私たちと共に戦ってくださり、
聖霊と賜物を与えてくださいます。
世人たちが地上のいのち、
財産、名誉、妻子を奪いとろうとしても
世人たちは何も得ることは出来ません。
神の国は永遠にクリスチャンのものであります。


「いまこそ来ませ」(讃Ⅱ96、新聖歌66)ルター作曲、歌詞の原作はアンブロシウス
 アンブロシウスはアウグスチヌスを導いた方、彼はまた有節賛美をキリスト教会に導入した方でもある。「今こそきませ」は、紀元374年にミラノの司教に任じられたアンブロシウスの賛美の息吹、霊性をそのまま1517年に宗教改革をしたルターが引き継ごうとした賛美歌である。1100年以上の隔たりがあるなかで、ルターはアンブロシウスの霊性を復活させた。この讃美歌は物語性のある美しい讃美歌でもある。