あらゆる文化を一旦、相対化してみたらどうだろうか

相対化は絶対化があるから必要です。教会音楽はある程度、相対化していかないと身動きできなくなっていくように思います。「この音楽が御心にかなった音楽だ。」「この音楽が最も宣教的な音楽だ。」「この音楽が最も霊的な音楽だ。」「この音楽が最も聖なる…

「えっ、礼拝学っていう学びがあるんだ!」

今度「えっ、礼拝学っていう学びがあるんだ!!」というキャッチフレーズで、11月9日(土)福音聖書神学校 のオープンキャンパスのなかで「礼拝と音楽」の公開授業をいたします。1時間半だけですので、興味深いところを触れるだけになるかもしれませんが、「礼…

中田羽後訳で育った自分なんだと改めて思う

以前の聖歌に比べて、新聖歌は一貫性が乏しく、弛みを感じてしまう。聖歌は中田羽後個人訳の魅力が全体にみなぎっていた。中田羽後個人訳の凄さは、彼の信仰と翻訳の一貫性にあったと思う。彼の信仰と翻訳の一貫性というのは、もちろんのこと彼が親譲りのホ…

イエスの十字架(聖歌総合版110)

改めて、中田羽後訳の凄さに圧倒されています。先週、バイクで走っている時に勝手に口ずさんでいました。この曲、一番も二番も三番も、「イエスの十字架」で始まっているのがいい。中田羽後先生が強調したい一番大切な言葉が歌の最初にしっかりと来ているの…

力強さと美しさと即興性:天田論文への応答

今もこの考え方は変わっていません。でも天田先生に反論しているものの、私の考え方の種は天田先生から出たものだと思っています。「音楽に関する前提の多くは文化的に位置付けられている」と信じているのですが、天田先生はこんな話をされていました。どな…

賛美のアイデア1・・・福音唱歌の「おりかえし」はもっと本来的ものに戻してはどうでしょうか。

福音唱歌の「おりかえし」は、本来、詩篇の応唱、交唱的な要素が強かったと思います。リバイバル集会、キャンプミーティングなどで、「おりかえし」までは賛美リーダーが独唱し、「おりかえし」から会衆で歌ったりしました。その時、前半を独唱した賛美リー…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.31   

12、礼拝における奏楽 1、奏楽とは何か オルガンの音が人間の音声に近い音であるということで、宗教改革以降、特別な位置が確立されていくが、聖書のなかに会衆と伴奏者を区別する根拠はない。むしろ会衆と同じ位置で会衆とともに賛美するのが奏楽者と言えよ…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.30   

10、人へのメッセージの多い福音唱歌をどう用いるか よく、福音唱歌はメッセージ性が強いと批判・指摘されるようであるが、人へのメッセージ性が強い曲であるにせよ、絶えず礼拝的でなければならない。私達が伝道音楽を追求していくなかで、尚、詩篇の手法を…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.29   

9、賛美に人へのメッセージはあるのか 礼拝を組むなかで整理しておかねばならないことは、やはり、聖歌に多く含まれている「福音唱歌」の問題である。「福音唱歌」は、メッセージ性が強くあり、本来の賛美が、人からの神へのいけにえとされている方向性と異…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.28    

8、礼拝の流れ 5において、基本的な部分の内容を述べたが、実際は各教派により、意味することは異なっている。つまり上記の内容はその礼拝式の順番、流れによって意味が異なってくるのである。そこで礼拝式の順番と流れについて、ここで触れてみよう。私達の…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.27

7、礼拝の内容 次にあげる礼拝の内容はリタージカルの教会から意味を抽出したものである。特に、日本のほとんどの教会が影響を受けているツウィングリーの礼拝改革の流れ基づいて、長老改革派教会が提示したものをもとにして、記したものである。私たちはこ…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.26

第八章 礼拝学 「礼拝学」は、その名のとおり、礼拝に関する研究をする、キリスト教神学に属する1学科である。しかし、日本においては、自由主義陣営でも福音主義陣営でも「礼拝学」の研究は遅れている。私たちMBも、礼拝学を重んずる教会ではなかったので、…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.25    

第七章 日本プロテスタント教会音楽史 No.25 現代日本の福音派賛美の問題点 1、固定化・形式化の問題 聖歌の用い方において、「福音唱歌」の「福音唱歌」としての特性が生かされていないのが現実である。つまり、「福音唱歌」はリバイバル運動と平行に成長し…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.24

第七章 日本プロテスタント教会音楽史 No.24 日本プロテスタント教会音楽史をどのような観点から学ぶのが良いのであろうか。キリスト教禁制が解けて、開国がなされた時に、日本に訪れた宣教師たちは、アメリカの霊的覚醒運動、敬虔主義の影響を受けたアメリ…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.23

第六章 20世紀後半(日本) 日本の公同讃美歌集に導入された日本人作の賛美 No.23 「天つ真清水」(新聖歌433)永井ゑい子作詞(1866-1928) 「みどりの牧場に」(新聖歌500)藤本伝吉作詞(1867-1935) 「独りの御子を」(新聖歌88)笹尾鉄三郎作詞(1868-1…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.22

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)No.23 12、20世紀後半(アメリカ) 20世紀中期はアメリカの福音唱歌がビリーグラハムの大挙伝道によってより拡大した。しかし一方で、アメリカにおいて1970年以降、福音唱歌の延長線上に様々な新しい…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.21

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)10、福音唱歌(アメリカ)福音唱歌の作詞作曲者を5人に絞って記しておく。フランセス・J・バン・アルスタイン夫人(1820〜1915) 彼女は通称ファニー・クロスビーと呼ばれた。6歳の時に失明し、40歳過…

礼拝と音楽の授業計画

「礼拝と音楽」を授業に合わせて書き直しています。現在No.4まで書き直しました。

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.20

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)10、福音唱歌(アメリカ) 教会音楽は宗教改革後、かなりの成長を遂げた。ところが皮肉なことに、宗教改革において、賛美は「人々」によって取り戻されたはずであったのに、再び大衆が教会の高度な音…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.19

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)8、19世紀前半(アメリカ) アメリカの開拓初期時代はイギリス国教会の「詩篇歌」が歌われていた。そして彼らの音楽レベルは、現在のアメリカの音楽レベルからすると、想像できないような低レベルであ…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.18

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)7、ビクトリア朝(イギリス) 英国国教会内では、「礼拝する教会(共同体)」としての賛美歌を作ったオックスフォード運動の流れを受けた高教会派、またそれに対して礼拝儀式をそれほど重んじず、非国…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.17

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで) 6、オックスフォード運動(イギリス) 英国国教会内に様々な要素があったことが、このオックスフォード運動によって明瞭になる。英国国教会の枠組みから出たグループが非国教会系であり、彼らは教派…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.16

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)5、19世紀(イギリス) 18世紀の非国教会系の人達のペンから賛美歌が泉のようにあふれ出したのであるが、19世紀には、今度は英国国教会の作者達に中心が移り、それまでは教訓的、実用的な面が強かった…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.15

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)4、18世紀(イギリス) 18世紀のイギリスの賛美は、アイザック・ウォッツとチャールズ・ウェスレーを比較することで見えてくる面がある。二人は全く正反対の神学的立場を擁護する賛美歌作者と言えよう…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.14

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで) プロテスタントの讃美歌の歴史は、ドイツからイギリスに、イギリスからアメリカに移っていく歴史である。現在の日本の福音派諸教会における賛美歌のほとんどは、新しい音楽も古い音楽も、ドイツもの…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.13

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで) ここでは、宗教改革より出発した「賛美歌の歴史」を辿ってみたいと思う。ルター以降の「賛美歌の歴史」とは、ルターの礼拝改革により会衆賛美、自国語賛美が導入された結果、出て来た賛美歌のことで…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.12

第五章 宗教改革と音楽2、カルヴァンと教会音楽 教会音楽史におけるカルバンの貢献は、詩篇の導入ということであった。カトリック中世において、「詩と賛美と霊の歌」の分類でいくと、「賛美」が進展したと思われるが、ちょうど、補囚の民が異国のシナゴグで…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.11

第五章 宗教改革と音楽1、ルターと教会音楽 教会音楽史上、マルティン・ルターの大きな貢献は次の二つに尽きる。それは会衆賛美の導入と自国歌賛美の導入であった。と言うものの、すでに民衆レベルではいつでもこの二つを開始できる気運は高まっていたのであ…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.10

第四章 中世カトリックの音楽2、聞く賛美 「人々」と教会音楽が切り離されたことによって、「人々」は、教会においては「歌う」賛美でなく、「聞く」賛美を捧げることとなった。歌うことのできる部分は、わずかにアーメン、ハレルヤ唱で声を合わせることのみ…

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.9

第四章 中世カトリックの音楽 新約聖書の時代の後の初代教父の時代は、ローマ帝国からの迫害のまっただ中であった。迫害を覚悟しつつ、あるときは小声で賛美せざるを得ない状況もあった。しかし、キリスト教の公認時代に入ると状況はがらりと変わる。自由に…