2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

なんでこの歌を歌わないのか。(1)

なんでこの歌を歌わないのか。CCMの場合は楽譜でなく耳から入ってくる情報が沢山あります。しかし、歌集がどんと発行されますと、一度に500曲ぐらいが、手元に来るわけで、まず手間取るのが牧師です。知らない曲はいつまでも知らない曲になり、すばらしい…

福音唱歌をどう位置づけるか(3)

「福音唱歌」は敬虔主義、大挙伝道、の霊性を包む、風呂敷のようなものです。「福音唱歌」は「おりかえしつき」とか、感傷的だとか、分析することは簡単なことですが、「福音唱歌」は、19〜20世紀のキリスト教の敬虔主義福音主義の流れを包括する霊性の風呂…

福音唱歌をどう位置づけるか(2)

日本では福音唱歌(ゴスペルソング)は昔からの讃美歌と同じもののように考えられていますが、そうではありません。福音唱歌はヨーロッパ生まれの讃美歌ではなく、アメリカ生まれの福音唱歌、なのです。それも大衆性を帯びていると讃美歌の群からは批判され…

福音唱歌をどう位置づけるか(1)

この懐かしい、アメリカの福音唱歌(ゴスペルソング)をどう位置づけ、どう歌っていくか、である。ゴスペルソングは大衆伝道、大挙伝道、ムーディーとサンキーに始まり、ピリーグラハムとベバリージェアに至るこの流れと繋がっている。日本の戦後の福音派教…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(7)

年齢53才、牧会27年、で、ようやく、教団に属していることを感謝し、実感できるようになってきました。私たちの教団に神学校というコア(中心)があります。神学校というコア(中心)のない教団があるなか、神学校というコア(中心)があるのは本当に恵みだ…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(6)

車の中で音楽を聞きながら賛美している人を見た。この人は車の中で一人で賛美をしているが、車の中がこの人の舞台ではなかった。この人の頭に描いている舞台は、コンサート会場であり、賛美集会であり、礼拝であり、外国の行ったことのない大礼拝、なのだ。…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(5)

それから、賛美文化の確立のために、他に何が必要でしょうか。それは生活の中に根付く賛美をどう作るか、です。50年前の福音派は、食事の前に「我らの食事を」「日々の糧を」等の食前の歌なるものを提供してくれました。またキャンプでの食前の歌として「お…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(4)

賛美による文化確立のために、何が必要か、ということを考えてみましょう。当然のごとく、文化の場を作ることなしに、賛美文化確立等絶対にできないと考えます。その場合、一番の問題点は礼拝が画一的だということで限定的な文化しか作れないということです…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(3)

古い曲とは何でしょうか。古い曲とは多くの教派が受け入れた曲、ということになります。ですから古い曲とは公同意識を高めるために役立つものでもあります。それに対して、新しい曲とは限られた教派が受け入れた曲、限られた教会が受け入れた曲、限られたム…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(2)

と言っても、「私たち」の曲を増やしていくことで解決できることでしょうか。いいや「私たち」の曲を増やしていくことで何の解決にもなりません。「私たち」を増やして、共同体的な歌を増やすことは一見すばらしいもののように思えます。しかし「私たち」程…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(1)

MBは、敬虔主義の影響でできた教団です。ですから敬虔主義的な讃美歌をこれからも歌い続けるべきでしょう。ドイツ敬虔主義〜アメリカ根本主義(おりかえしつき福音唱歌)〜アメリカ福音主義の歴史的な流れで歌っていく必要があるでしょう。しかし、今回「…