なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(7)

 年齢53才、牧会27年、で、ようやく、教団に属していることを感謝し、実感できるようになってきました。私たちの教団に神学校というコア(中心)があります。神学校というコア(中心)のない教団があるなか、神学校というコア(中心)があるのは本当に恵みだなあと思います。その一階にはチャペルがあり、教団事務局もあります。この建物がある限り教団が多様化しても分散化しても大丈夫です。

 しかし、場所的には、教団はこのようなコアがある反面、新聖歌がどうしても私たちのコアと呼べない面があります。なぜなら新聖歌は何と言っても聖潔派の歌集だからです。特に、聖歌から新聖歌に以降した段階で、私たちの歌集とは違ったものが以前よりも増えたように思います。一つは新聖歌において、教会暦等の国教会時代の礼拝学が少しでも強調されるようになってくると、ある曲には距離感を感じてしまいます。今後MBの教会もいろいろな賛美を寛容に受け入れ、導入していけば良いと思いますが、中心的なコアを作り上げたい、そこで新しい讃美歌集を作りたい思いが広がるのです。今はパワーポイントで前に歌詞を映す時代で、歌集に拘らない傾向が強い時代ですが、そうであっても、独自の歌集が我々MBのシンボルとなり、方向性を示すサインとなってくれることを願うばかりです。