なんでこの歌を歌わないのか。(1)

 なんでこの歌を歌わないのか。CCMの場合は楽譜でなく耳から入ってくる情報が沢山あります。しかし、歌集がどんと発行されますと、一度に500曲ぐらいが、手元に来るわけで、まず手間取るのが牧師です。知らない曲はいつまでも知らない曲になり、すばらしい曲なのに、歌い継がれなくなる、のは当然です。つまり牧師が選曲する段階で、選曲しないままでいってしまうのです。それで、歌わない曲が放置されてしまうのです。礼拝は一年に約50週程ありますが、一度の礼拝に3曲選曲するにしても、合計150曲だけしか選曲できません。もちろん、歌いたい曲が何度も歌う必要がありますし、教育的にも繰り替えすことは重要でしょう。そうすると、一年間に歌える曲は、100曲以下になってしまい、500曲のうち400曲は全く歌わなくなってしまうのです。また神学的な問題も生じてきましょう。新聖歌は聖潔派の歌集ですので、聖潔派の神学が反映し過ぎているものを、ある教派は避けるのは当然でしょう。また敬虔主義の強い教派は共同体的な歌詞にはなじまないでしょう。そのようなわけで、神学的な問題で歌わなくなるということも生じてくることだと思います。また講解説教をしている教会等は説教にフィットしない曲はどうしても選ぶわけにはいかないのです。

 また当然、音楽的に難しい、とか、伴奏者が伴奏できない、とか、の事情もあると思います。ですから、これからの歌集はこれらのことに対応できる歌集であるべきだと思います。今、私の中にある、アイデアは次のようなことです。これからいろいろと考えていきたい。

1、すべての曲にギターコードを入れる。
2、すべての曲の信仰的背景を明確化する。作詞作曲者が見えるように。
3、すべての曲の歌い方のアイデアを支援する。時の場を想定して
4、すべての曲のライフスタイル化を意識したアイデアを入れる。
5、他の歌集にない魅力的なアプローチを挿入する。
  共同体的な視点の多様性を考慮に入れる。
6、MBのシンプルなリタージーを支援し牧師を助ける。
7、なぜこの曲を選んだか、の理由を明確化する。