前回の会衆賛美と共に、以前の会衆賛美と共に

こんなことをしたことがありますか。たとえば、祈祷会ならば、いつもの祈祷会の会衆賛美を録音したものを再生しながら、会衆賛美をすると結構、いい感じになるなあと思いました。これって、コロナ禍で会得した知恵かなと思います。もちろん、録音する時に一番機械(スマホ)の近くで歌う人が声が大きく録音されるわけですから、自然に賛美リーダーのようになっています。また以前の自分の声を聞きながら、別のパートで歌う、これも楽し。また音がずれている人の声が録音されているのを再生して一緒に歌うのもまたいい・・・。

 

 

聖歌プレーヤーを聴いてみて

 聖歌総合版の和田健治先生からわざわざお電話をくださり、聖歌プレーヤーのお勧めをしてくださいました。感謝!! それで、さっそくスマホで聴くことができる聖歌総合版、聖歌プレーヤーのアプリを入手しました。今の時代、聖書に関しては、ドラマ聖書がもったいくらい価値あるものだと思いましたが、同じように、とても価値のあるプレーヤーだと思いました。是非、多くの方々がダウンロードして、用いてくださったらと思いました。

 

 今の時代はYouTubeインターネットラジオポッドキャストなどで、いくらでも、耳から音楽をつけっぱなしで、連続に入ってくる時代です。しかし、この聖歌プレーヤーは、一貫して、淡々と、奏楽的に聖歌のすばらしさを耳に届かせてくれるのです。ですから、今日も、聖歌総合版の全曲を順番に流しっぱなしで聴いています。オーケストラ、さまざまなバンドの音楽、だけでなく、このようなシンプルな音を無理なく、奏楽で聞くのもいいのではないでしょうか。

 

 私の牧会する教会は新聖歌を用い、若い人たちはコンテンポラリーな音楽を歌い、またスクリーンで他の歌集からの讃美歌を歌っている教会ですが、私は子供の頃から聖歌で育ちましたので、以前の聖歌の記憶と共に生きてきました。ですから、奏楽的に聖歌の曲を順番に聞いていると、思う以上に歌詞を覚えていたことに気づきます。不思議です。以前の聖歌の文字、キャンドルサービス時にこぼした蝋燭の位置まで思い出すのです。特に「おりかえし」の部分はどの曲も歌集なしで歌うことができるので、そこだけ大きな声を歌うのはどうでしょうか。そんな時代に生きた方々にとっては、宝物のようになるかもしれません。ぜいたくを言えば、私の場合はヤマハの11ストップのリードオルガンの教会で育ちましたので、その音で聴きたい気持ちはあります。そのようなリードオルガンの教会に、ギターが入ってきたのが私が小学6年生頃でした。あの頃の、ゴスペルフォークの流れは必ずしも聖歌の流れからすると受け入れがたいものだったのでしょう。その後の青年聖歌、そして小坂忠さんたちの新しい流れも若い人たちのなかではいろいろ絡まってきた時代だったと思います。

 

 私たちの教会には奏楽用の新聖歌のプレーヤーはあるのですが、聖歌プレーヤーも適材適所を用いていきたいと思いました。また知らなかった曲も覚えていきたいと思います。

センブスデー・アドベンチストは合唱がすばらしい

 セブンスデー・アドベンチスト(SDA)は合唱がすばらしい。(セブンスデー・アドベンチストは土曜日に礼拝している教派・神学的には「霊魂消滅説」を取るので普通のキリスト教会と違う面がある)

 彼らの合唱がすばらしいのは、合唱の伝統が三育学園などを母体にちゃんと継承されているからだと思います。今、日曜日に礼拝している日本の教会は合唱、聖歌隊が以前よりも縮小しているように思えてならない。私たちの教団でも50年前には牧師のすばらしい男性カルテットがあった。それは神学校が5年もあり、共同生活のなかで培われたものだったように思う。またアメリカのメノナイトも賛美のメノナイトと言われるほどすばらしい合唱団をいくつも持っていた。北米では生きていると思うが、日本では継承できていないように思う。コンテンポラリーミュージックの発展と並行して合唱も発展してほしいと願うばかりだ。いくらでも海外からの良い楽譜があり、アレンジャーがおられると思う。チャレンジに満ちた日本の教会になってほしい。コンテポラリークリスチャンミュージックと合唱の違いは何だろう。最近、気づいたことがある。コンテンポラリークリスチャンミュージックは一人でもすばらしいものができる、ということだ。一人で音を重ねて、完成度の高い音楽がいっぱいできてきている。しかし昔からの合唱は共同体がどうしても必要だということ。人数がいるということだ。今、日本の教会が一教会で、たとえば30人ほどの聖歌隊を作ることができる教会は少ないだろう。さて・・。

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「夕日が出てくる讃美歌」を捜してみました(見つけ次第、加えていきます)

新聖歌514「いつかはさらばと」の3番

いつかは朝日も 夕日となり消えん

その時わが主は われを召し給わん

御顔を拝して われは告げまつらん

「恵みにわが身も 贖われたり」と

 

讃美歌49「夕日落ちて」の1番

夕日落ちて 空暗く

寝にゆく鳥 影消えぬ

星はさめて 花眠り

今日は去りて 夜は来ぬ

 

讃美歌45「夕日のなごりは」の1番

夕日のなごりは うすれゆきて

しらつゆ宿れり 花のとこに

父なる神よ 今 御前に

ささぐる祈りを 聞かせ給え

 

新聖歌78「荒野の果てに」の1番

荒野の果てに 夕日は落ちて

妙なる調べ 天より響く

グローリヤ インエクセルシスデオ

グローリヤ インエクセルシスデオ

 

讃美歌476「やや移りきし」

ややに移りきし 夕日かげの

残るわが生命 今か消ゆらん

み使いよ 翼をのべ

永遠の故郷へ 導きゆけ

永遠の故郷へ 導きゆけ

 

聖歌102「夕日も遥か」の1番

夕日も遥か彼方に去りぬ消えぬ光よ

照り出で給えわれらに

聖なる主よ汝こそ 天と地に満ち

すべてを統ぶる神なれ

 

讃美歌21「朝日の如くに」の4番

夕日の如くに 主よ 来りませ

諸人 仰ぎて 平和をたたえん

 

讃美歌37「夕日は沈みぬ」の1番

夕日は沈みぬ 光の御神よ
われらに宿りて 輝き給えや

 

 

「夕暮れが出てくる讃美歌」を捜してみました(見つけ次第、加えていきます)

讃美歌には夕暮れが出てきません。

美しい夕の歌がたくさんあるので

別の言葉で表現しているようです。

 

新聖歌40「ガリラヤ風かおる丘で」の4番

夕暮れのエマオへの道で

弟子たちに告げられた

命の御言葉を

わたしにも聞かせてください

 

聖歌260「主よいよいよ」の2番、中田羽後訳

野を旅して     夕暮れに

われ石をば            枕に

野宿せしが 夢にも見ぬ

主よいよいよ 近づかん

 

聖歌104「日影は遠ざかりゆき」の1番、中田羽後訳

日影は遠ざかりゆき

夕暮れははやも迫る

寂しき我と共に

宿り給えわが主よ

 

聖歌116「御空は御神の」の2番、中田羽後訳

夕暮れ月影     御空に上りて

ものみな造りし   御神をほむれば

星影きらめき    諸人に知らす

神のまことと    御神の愛をば

 

感謝の歌、岩本正樹、国分友里恵

私の神 主よ 賛美捧げます

あなたは私を引き上げ 癒してくださった

聖なる神 主よ 感謝捧げます

あなたの怒りはつかの間 めぐみは永遠

夕暮れには涙が宿っていても

詩篇30:5新改訳2017のまま)

朝明けには喜びの叫びがある

決して揺らぐことはないと言えた

力をくださった

閉ざされたなら ただあなたにすがり

祈り求めます

 

 

これからの「讃美歌集を作るための奥の部屋」

ほとんど、このプログをチェックしてこなかったのですが、多くの方々が私のブログを見てくださって、うれしく思っています。私は現在63歳、65歳定年で、次の歩みを目指しています。私は、日本メノナイトブレザレン教団という団体に所属していますが、アバウト30教会、30牧師の教団です。2000年頃に、まだ関西中心の教団ですから、1000名ぐらいは一同で集まることのできる教団でしたので、教団の公同讃美歌を作れないものか、一つのビジョンが与えられていましたが、結果的には無理でした。30教会、30牧師の教団では公同讃美歌を作成することは現実的ではないとある時点で悟ったと思います。教団の働きで忙しくなってしまったのが原因です。

 

 他にもいろいろな原因があったと思いますので、少し述べたいと思います。一つは日本メノナイトブレザレン教団は公同意識が弱い教団だったことがあると思います。

 

 もう一つは私の牧会する教会も含めて、次世代伝道を考える時、次世代が自発的に歌う賛美がやはり、contemporaryなものだったからです。感謝なことにあの時点では若い牧師がたくさん与えられましたが、contemporaryなものに向かう傾向が他派より強くなったように思います。

 

 もう一つは、これも自分の牧会する教会だけでなく、他の教会もそうですが、ほとんどのMB教会は、スクリーンに歌詞を映し出す教会になってしまいました。賛美歌を発行しても次世代の人たちは購入しないでしょう。教会備付の棚には歌集が数十冊そのままになっています。

 

 もう一つは、共同体的に歌集を作成するということの歴史が日本メノナイトブレザレン教団にはないこと、その労力を考えると、今まで通り、越教派のものを使用していくのが賢明だと思ったからです。完成度の高い、聖歌総合版や教会福音讃美歌、他の諸教派のものを利用させて頂こうと思ったわけです。

 

 それで、これからこのブログでは、一曲、一曲、讃美歌集を比較しつつ、楽しんでいきたいと思います。また続いて、新しい讃美歌のあり方を模索していきたいと思っています。

 

 

 

興亜少年讃美歌「日本の子供」