福音唱歌をどう位置づけるか(3)

 「福音唱歌」は敬虔主義、大挙伝道、の霊性を包む、風呂敷のようなものです。「福音唱歌」は「おりかえしつき」とか、感傷的だとか、分析することは簡単なことですが、「福音唱歌」は、19〜20世紀のキリスト教の敬虔主義福音主義の流れを包括する霊性の風呂敷包みなのです。ですから、ワーシップソングがカリスマ運動の霊性の風呂敷包みであるのと同じように、敬虔主義運動の霊性の風呂敷包みなのです。ですから単に、時代が新しいとか古いとかというだけで仕分けできるものではありません。ワーシップソングの流れから見ると、福音唱歌は、上に向う賛美形態とは違うではないかと指摘を受けるわけですが、福音唱歌側では、詩篇という讃美歌モデルが十分に、福音唱歌を包括していると主張します。そのワーシップソングの流れの主張に対して、福音唱歌は教育的だと、賛美における教育と宣教の意味を主張するわけです。また、福音唱歌の最初の部分は証的であっても、おりかえし部分は上に向う賛美形態となっているとも主張するわけです。またワーシップソングや、昔の讃美歌のグループの人たちは、福音唱歌を歌っていると、何か、「がんばれがんばれ」と急き立てられている感じがすると言うのです。それもそうでしょう。福音唱歌の背景には自分の意志で主を信じ、自分の意志で献身し、自分の意志で主に従うという前提があるからです。それは福音唱歌の時代の敬虔主義の情熱の反映でしょう。また日本語翻訳の限界もあったと思います。日本語にすると十分に詩的な部分を反映できなくて、シンプルな率直な表現だけになってしまい、もともと意志表現的な福音唱歌ですが、すべてが意志表現的になってしまっているかもしれません。しかし、そこを中田羽後氏は絶妙な翻訳をしてくださったように思います。