なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(3)

 古い曲とは何でしょうか。古い曲とは多くの教派が受け入れた曲、ということになります。ですから古い曲とは公同意識を高めるために役立つものでもあります。それに対して、新しい曲とは限られた教派が受け入れた曲、限られた教会が受け入れた曲、限られたムーブメントが受け入れた曲ということになりましょう。その新しい曲は残るかどうかわからない曲です。残るためにはどうしても歌い続けられる必要があります。歌い続けられるためには、礼拝と生活に根付いた曲でなければなりません。

 現在の日本では牧師が礼拝でその曲を選ぶかどうかが大きな意味を持ちます。その点で古い曲とは、多くの教派の賛同のもとに受け入れられてきた曲ということが言えましょう。それと、キリスト教結婚式の普及により、一般で受け入れられた曲としては、「いつくしみ深き」などがありますが、あれは、教会文化ではなく、一般の結婚文化というライフスタイルが要求した曲だと言えましょう。同じように「きよしこの夜」等のクリスマス曲も同じ意味でありましょう。残念なことに最近は教会学校のライフスタイルが減退し、教会学校を通して広がるという文化がなくなってきていることは危機的なことです。後はお葬式でしょう。「主よみもとに」は有名ですが、言葉がわかりにくいのでもう少し工夫が必要でしょう。

 また私は子供の頃、お別れの時、誰を送る時だったか覚えていませんが、みなさんで「神共にいまして」をプラットホームで歌っていたのを見たとがあります。凄い文化です。今はそんな光景見たことがありません。讃美歌が残るということ、古くなっても歌われていく、ということはどうゆうことなのか、をしっかりと認識する必要があります。そのような文化確立のために、讃美歌集がどうしても必要なのです。