なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(4)

 賛美による文化確立のために、何が必要か、ということを考えてみましょう。当然のごとく、文化の場を作ることなしに、賛美文化確立等絶対にできないと考えます。その場合、一番の問題点は礼拝が画一的だということで限定的な文化しか作れないということです。日本の教会は、まだまだ初代教会のような教会ですので、西洋の完成形を日本にそのまま持って来て、形骸化させていくなんて、なんと馬鹿げたことかと思います。その手法に効果があった時代は良いのですが、今では殆ど効果がないように思います。日本においては、礼拝であっても、実験の場でなくてはなりません。

 それから、私たちは、礼拝だけではなくて、コンサートや様々なフェスティバルの場を増やすことが必要です。ペンテコステ派等は癒し集会も彼らにとっては、一つの文化確立の場でしょう。そのような場が存在していること自体が彼らにとっては賛美文化の祝福なのです。

 もう一つは、家庭が開放されることによって、家庭のライフスタイルに根付く音楽が確立されていく必要があります。また私は夕礼拝文化がなくなったことにより、夕礼拝で歌う歌がなくなったことを憂えています。これは大きな損失です。「日暮れて夜もは暗く」はどうしても歌わねばならない曲でもったいない曲だと思います。夕礼拝で歌える、合唱曲がどれだけ歴史の中にあるでしょう。でもそれは、すべて歌われることなく消えていくのです。