なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(6)

車の中で音楽を聞きながら賛美している人を見た。この人は車の中で一人で賛美をしているが、車の中がこの人の舞台ではなかった。この人の頭に描いている舞台は、コンサート会場であり、賛美集会であり、礼拝であり、外国の行ったことのない大礼拝、なのだ。…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(5)

それから、賛美文化の確立のために、他に何が必要でしょうか。それは生活の中に根付く賛美をどう作るか、です。50年前の福音派は、食事の前に「我らの食事を」「日々の糧を」等の食前の歌なるものを提供してくれました。またキャンプでの食前の歌として「お…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(4)

賛美による文化確立のために、何が必要か、ということを考えてみましょう。当然のごとく、文化の場を作ることなしに、賛美文化確立等絶対にできないと考えます。その場合、一番の問題点は礼拝が画一的だということで限定的な文化しか作れないということです…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(3)

古い曲とは何でしょうか。古い曲とは多くの教派が受け入れた曲、ということになります。ですから古い曲とは公同意識を高めるために役立つものでもあります。それに対して、新しい曲とは限られた教派が受け入れた曲、限られた教会が受け入れた曲、限られたム…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(2)

と言っても、「私たち」の曲を増やしていくことで解決できることでしょうか。いいや「私たち」の曲を増やしていくことで何の解決にもなりません。「私たち」を増やして、共同体的な歌を増やすことは一見すばらしいもののように思えます。しかし「私たち」程…

なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(1)

MBは、敬虔主義の影響でできた教団です。ですから敬虔主義的な讃美歌をこれからも歌い続けるべきでしょう。ドイツ敬虔主義〜アメリカ根本主義(おりかえしつき福音唱歌)〜アメリカ福音主義の歴史的な流れで歌っていく必要があるでしょう。しかし、今回「…