なぜ「主よ 讃美歌集をください」なのか(1)

 MBは、敬虔主義の影響でできた教団です。ですから敬虔主義的な讃美歌をこれからも歌い続けるべきでしょう。ドイツ敬虔主義〜アメリ根本主義(おりかえしつき福音唱歌)〜アメリ福音主義の歴史的な流れで歌っていく必要があるでしょう。しかし、今回「聖歌」が「新聖歌」になった中で、英国国教会の影響の色合いが少し強くなってきました。つまり新聖歌を発行する聖潔派は敬虔主義の影響を受けた英国国教会の反動派であるにもかかわらず、時代が立つなかでそこへの回帰が伺えるようになってきました。英国国教会の歴史的包括主義の強さを感じるものです。

 例えば、新聖歌では、今まで以上に、国教会系列の教会暦等が強調されてきましたので、自由教会的なアナバプティズムとしては、少し距離が出てきた感があります。また共同体イメージが、かなりアナバプティズムとは違うイメージとなってきているように思います。個人主義的な「私」が共同体的な「私たち」よりも重要だと確信していますが、少しぐらいは「私たち」という歌も入れていくべきではないでしょうか。(「私」と「私たち」は切っても切れない関係ですから)

 今回、聖歌の時にあった「祝福あれ」がなくなったのも少し考えさせられています。あの曲は手を繋ぎながら共同体意識を高めるために歌った歌でした。ああいうタイプの曲をもっとフォローすべきだと思います。

 聖潔派の構図は、やはり英国国教会という国教会リタジーとその反動の一対一の敬虔主義の福音唱歌、という構図で生きてきたのではないでしょうか。聖潔派は今日までその二つの間を行交ってきたのです。それに対してMBは別の座標軸を持っているなあとと思います。

※新聖歌とは、日本福音連盟聖潔派の組織)が編集した歌集です。日本福音連盟日本福音同盟とは別団体です。MBは当初より日本福音同盟に所属しています。聖潔派の教派は日本福音連盟に所属しながら、日本福音同盟にも所属している教派が多いです。