福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.25    

第七章 日本プロテスタント教会音楽史

 No.25 現代日本福音派賛美の問題点   

1、固定化・形式化の問題

 聖歌の用い方において、「福音唱歌」の「福音唱歌」としての特性が生かされていないのが現実である。つまり、「福音唱歌」はリバイバル運動と平行に成長してきた歌集であったにも関わらず、本来の自由性からかなり離れ、固定化・形式化に向かっている。「福音唱歌」はもっと自由性と即興性を回復すべきであるように思う。また聖歌にはある程度の即興的伴奏が望ましい。聖歌が聖歌らしくない。無理もないであろう。本場のアメリカにおいても聖歌は聖歌らしくなくなった結果、伝統的な讃美歌に合流し、CCMとの狭間で居場所を失いつつある。

 

2、文語の口語化の問題

 「わからない賛美」というのは、決してプロテスタント的ではないし、聖書的でもない。プロテスタントは、ルターにより分かりやすい自国語賛美が導入されたことを特徴としているのである。しかし、実際は、わからぬ歌を歌っているのが現状である。日本文化的観点から見ると、わからぬがゆえに宗教性を感じ、ありがたい、という面もあるが、それは決してプロテスタント的ではないがゆえに、これからどのように「よくわかる」ものを作るかが課題である。「わかる」がゆえに軽く扱われ、「わからない」がゆえに宗教性を感じる日本人にどのように切り込んでいくか、である。敬虔主義的な福音唱歌は口語にすると厳しく聞こえる。つまり文語であるので曖昧にすることができたということがある。

 

3、個人翻訳編集の問題

 聖歌は聖潔派である「福音連盟」が母体となっているが、同時に福音派の歌集でもある。しかし、これは中田羽後師の個人訳という個人が色濃く出てきている名訳の歌集でもある。それがゆえに、なかなか、思いきった改訂ができないできた。「新聖歌」は中田羽後訳からの脱却という意味では、少しばかりの進展があった。「教会福音讃美歌」は完全に中田羽後師から脱却できた福音派の歌集である。つまり、中田羽後訳は多様な訳のなかの一つになった。中田羽後の召天日が1974年7月14日なので、50年後の2024年に著作権の効力が切れる。

 

4、説教との分離の問題

「説教とぴったりあった賛美がない」と声が聞こえる。これは重大な問題である。賛美が説教を助ける意味で用いられるとしても、説教の応答として用いられるにしても、説教と賛美の密着性が保たれなければ、日本の礼拝の将来はないのである。また実際、神学的相違のために選択できぬ歌もある。我々は聖歌を歌う場合、聖潔派の人々の影響を少なからず受けているが、それを最小限に留める必要もある。ただ、福音派の福音の提示に忠実に生きるならば、今までの聖歌を繰り返して歌うことの効果も捨て難い。ただ今一番問題なのは説教者がひっかりあった賛美がない、と悩んでしまうほど、讃美歌に神経が注がれていないことである。これは説教を準備する牧師側の視点である。

 

5、芸術活動(創造活動)欠如の問題

 福音派においても、日本人による賛美歌創作が少ない。たとい創作があっても、本格的礼拝歌集はなかなか、日本人による創作を取り入れない。ある曲は大衆性に恵まれているが、芸術性に欠けるという理由で、また、ある曲は芸術性は恵まれているが、大衆性に欠けるという理由で取り入れられていない。また、取り入れられたとしても、諸教会が十分に用いなかったり、広げようとする教育が全くなされないままに、埋もれてしまう事例がかなりある。そして、結局は翻訳物がいまだ中心となっているのである。新しい歌集が発行されてはいるが、新しいタイプのアメリカの「福音唱歌」の寄せ集めの域を脱していないようにも思われる。そのようななかで一番危惧するのは以前よりも歌集が発行されなくなってきているということである。初代教会時代に匹敵する日本の教会ではこれからも様々な賛美の試みが繰り返される必要がある。

 

6、日本的な賛美の問題

 これぞ日本人が作り出した賛美形式というものがない。スイスで詩篇歌形式が発達し、イギリスでチャントが発達し、アメリカで福音唱歌が発達したように、日本ならではの賛美の発達が必要である。アメリカの偉大さはアメリカの中で伝統的賛美歌からCCMまでを生み出したという偉大さがある。そこには信仰のムーブメントがあり、その歴史が彼らの賛美歌を生んできた。ニグロスピリチャル級の賛美歌を日本は生み出すことができるだろうか。今まで、日本古来の曲に歌詞をつけることも試みられたのであるが、すべて失敗している。さて日本にはどのような賛美が文化に根付いていくのであろうか。宣教のために思い切った発想の賛美形式の実験がなされないといけない。