福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.19

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)

8、19世紀前半(アメリカ)

 アメリカの開拓初期時代はイギリス国教会の「詩篇歌」が歌われていた。そして彼らの音楽レベルは、現在のアメリカの音楽レベルからすると、想像できないような低レベルであった。しかし、それは次第に改善されていき、歌われる讃美歌も、本国イギリスからの影響も遅れつつ受けつつ、詩篇歌だけの時代から、ウォッツ、ウェスレーの曲なども歌われるようになる。19世紀前半はまだ、大挙伝道によるリバイバル運動、日曜学校運動、キャンプミーティングなどはなく、これらの流れが盛んになるなかで、福音唱歌(ゴスペルソング)が登場していく。


・レイ・パーマ(1808〜87)「世をあがのう」(聖歌270)この歌は会衆派牧師レイ・パーマが「優しい気持ちで書きはじめ、涙とともに書き終えた。」とされる。この曲は最初は陽の目を見ることがなかったが、アメリカの聖歌の父と称されるロウエル・メーソンがこの詩を発見し、曲がつけられ、教派を超えて世界に広がっていった。


・ハリエット・ストウ(1812〜96)「しずかに神と」(聖歌100)、ストウ夫人の名は「アンクルトムズキャビン」で有名。

・ジョージ・ダフィールド(1818〜88)「たちあがれいざ」(新聖歌454)長老派牧師


9、19世紀中期以降(アメリカ)

 これまでの賛美歌はピューリタン系の人々が中心であったが、次第に、ユニテリアン系と、自由主義系の人々の賛美歌が登場していくようになる。ユニテリアンはイエスキリストを神と信じていない人たちである。また自由主義系の人々は人間イエスキリストを道徳のお手本として生き、社会を変えていこうとした人たちである。

・ジェームズ・R・ローウェル(1819〜91)「ひかりかくらきか」(聖歌304)ユニテリアン派、初めの歌詞の直訳は「個人にも国にも、正、邪かのどちらにつくか、決断を迫るときがある。」である。

エドマンズ・H・シアーズ(1810〜76)「天なる神には」(新聖歌80)、聖歌では「ふけゆく野原の」(聖歌125)であった。ユニテリアン派牧師であるが後にはキリストの神性を信じるようになる。この曲は有名なクリスチャンキャロルの名曲である。

・ジョン・G・ホイッティア(1809〜92)「めぐみふかき主よ」(聖歌268)クウェーカー派、クウェーカー派は牧師や教会を否定する無制度共同体である。神からの直接の霊的衝動を頂いて祈ることからクウェーカーと呼ばれている。

・フィリップス・ブルックス(1835 〜93)新聖歌は「しずかに眠れる」(聖歌124)を導入しないで、「ああベツレヘムよ」(新聖歌84)を導入している。有名なクリスマスキャロルの名曲である。聖公会司祭で自由主義神学者の名説教家