福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.15

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)

4、18世紀(イギリス)

 18世紀のイギリスの賛美は、アイザック・ウォッツとチャールズ・ウェスレーを比較することで見えてくる面がある。二人は全く正反対の神学的立場を擁護する賛美歌作者と言えよう。しかし二人には共通点があった。二人とも英国国教会に所属しない非国教会員であったということである。二人が登場した時期はまだまだ英国国教会内では創作讃美歌の意欲が生まれる環境ではなかった。つまり、英国教会内ではジュネーブ詩篇歌に始まった詩篇歌の流れにあったからである。しかし二人は、これまで英国国教会内で歌い継がれてきた詩篇歌からの脱皮を図り、芸術性の豊かな創作賛美を追求していったのである。


アイザック・ウォッツ(1674〜1748)

 彼は、カルヴァン主義的な力強い信仰を表明し、聖書的、啓示的、客観的な讃美歌創作をした。ですから、彼の賛美には、救いを求める呼びかけは乏しい。どちらかというと不義を厳しく罰する神が描かれている。新聖歌には、ウォッツの歌詞の曲は次の9曲が収められている(1.16.106.115,117,118,154,159,297)。聖歌時代からすると4曲ほど減っている。ただ新聖歌は、ウォッツの「いざ皆きたりて」(新聖歌1)で始まっていることに注目したいと思う。しかし私たちが歌い継いでいるウォッツの賛美は、創作600曲のなかの数曲に過ぎない。

 新聖歌は、「栄えの主イエスの」(新聖歌117)で讃美歌訳を導入。聖歌訳は「十字架にかかりし主イエスを仰げば」(聖歌158)。この曲は英語4大讃美歌となっている。「栄光の君がその上で死に給える驚嘆すべき十字架を思い見る時、私は今まで勝ち得た最も豊かな利得をも損失でしかないと考え、また私のあらゆる誇りに対してさげすみの言葉を吐きかける。」(直訳)

「過ぎし世きたる世」(聖歌249)は新聖歌には導入されていない。「神よ、過ぎ去った代々には我々の助けとなった神よ、来るべき年月には我々の望みとなる神よ、あらしの吹きすさぶところから我々を避難させる神よ、またとこしえに我々のすみかである神よ」(直訳)


・チャールズ・ウェスレー(1707〜78)
「ウェスレーの賛美歌はメソジスト神学の教科書」と述べられるほど、カルヴァン主義と明確に区別される。ウォッツのものとは正反対で主観的、個人的、体験的な曲が多い。ですから「我が」が多い。ドイツの教会が冷却正統主義と称される状況になった時、その反動で登場した敬虔主義の影響を強く受け、この流れがウエスレーのメソジストに繋がっていった。現在の日本の福音主義が受け入れてきた賛美の流れとしては、敬虔主義→ウェスレー(イギリス)ー→福音唱歌アメリカ)が奔流ではなかったかと思われる。しかし現在の日本の福音派は教会音楽面でも神学面でもより豊かなもの、多様なもの、になっている。

 今回新聖歌に導入されたウェスレーの曲は11曲で次の通りである。(10、34、79、130、153、211、212、226、276、310、463)聖歌時代より7曲ほど減っている。新聖歌は聖歌の「愛するイエスよ」(聖歌245)を導入しないで、讃美歌の「わが魂を」(新聖歌276)を導入している。「イエスよ、私の魂を愛したもう方よ、寄せ来る波のさかまく間、嵐が尚も激しい間は、み胸に飛び込ませてください。」(直訳)


オーガスタス・トップレイディー(1740〜78)新聖歌は聖歌の「かくせやわれを」(聖歌248)ではなく、讃美歌からのもの、「千歳の岩よ」(新聖歌229)を採用している。トップレイディーは他500篇の讃美歌を創作している。「千歳の岩よ」は「四大英語賛美歌」の一つともなっている。

ジョン・ニュートン(1725〜1807)新聖歌には「かがやくすがたは」(聖歌199)は導入されず、「おどろくばかりの」(新聖歌233)は、聖歌の中田羽後訳を引き継いでいる。もう一つ新聖歌には「御顔を見ぬとき」(新聖歌207)が導入されている。

・ウィリアム・クーパー(1731〜1800)「尊き泉あり」(新聖歌238)が聖歌から引き継がれている。