福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.20

第六章 讃美歌の歴史(ルター後の時代から福音唱歌まで)

10、福音唱歌アメリカ)

 教会音楽は宗教改革後、かなりの成長を遂げた。ところが皮肉なことに、宗教改革において、賛美は「人々」によって取り戻されたはずであったのに、再び大衆が教会の高度な音楽から取り残されていくという現実が起こっていく。しかし、そのようななかで、特にアメリカにおいて、教会音楽の大衆化が始まっていく。

 そのような中で登場したのが、「福音唱歌」(ゴスペルソング)である。「福音唱歌」はアメリカの産んだ所産である。ただ「福音唱歌」は教派、神学の立場の違いにより評価はかなり分かれる。その理由は、アメリカにおいて二分した根本主義自由主義の対立と関係がある。つまり、福音唱歌は、根本主義(後の福音派)を背景に生まれてきた賛美なのである。

 この曲を一番先に導入したのは単立・バプテスト系であった。他の教派も少なからず、福音唱歌を自分達の教派の歌集に採用した。そして、戦後、衰えたかに見えたが、アメリカにおいては、今尚、強い影響力を持って、教会を導いているのである。特にアメリカにおいて、福音派が成長したことにより、福音唱歌はなお歌い継がれることとなっている。(後に触れるが、日本においては中田羽後、三谷種吉、笹尾鉄三郎などが広げ、中田羽後編の「聖歌」に多くが納められている)

 アメリカの聖歌学者であるスティーブンスンは次のように評価する。「福音唱歌アメリカが行ったキリスト教歌曲への貢献を代表する特徴的なものである。その率直さが長所なのである。優美さや荘重さなどが感動を呼び起こさないような場合に、福音唱歌が大きな成功をおさめるのである。・・・宗教が、生命を保つために大衆に受け入れられねばならない時代に、そして、宗教が少なくとも選挙民の過半数の投票を獲得しなければならない時代に福音唱歌は不可欠なのである。」

 日本キリスト教団関係の教会音楽史に関する書物には、福音唱歌に関する評価はそれ程高くない。現に日本キリスト教団では讃美歌を改訂する度に、福音唱歌を減らしてきた。辻壮一氏の「キリスト教音楽の歴史」にも福音唱歌についてはほとんど取り扱われていない。しかし、私達MBは、この福音唱歌の影響を受けてきた。なぜならアメリカからの宣教師はこの福音唱歌を持って来日し、宣教を始めたのである。いったいこの福音唱歌とはどうゆうものだろうか。

 福音唱歌は、英語の世界では、ゴスペルソングとか、ゴスペルヒムと言う。19世紀中期になると当時アメリカでも組織され始めたYMCAがリバイバル集会の中心的推進力となっていった。そして、南北戦争(1861〜65)の直後、シカゴYMCA会長に就任したのが大伝道者ドワイト・ムーディーで、同YMCA主事の音楽歌アイラ・サンキーとのふたりは間もなく伝道説教者と音楽伝道者として絶妙なコンビを組み、アメリカはもちろん、イギリスにも名声をうたわれることになる。

 福音唱歌の特徴は、歌詞の面から言えば、率直な表現で個人の救いと、その喜びの証しを歌うとともに、救いの喜びを積極的に世の人々に分ちとうとする伝道精神を歌うものが多い。初期のものは表現が単純であるが、後期にはしだいに精微さを加えてくるのが見られる。福音唱歌の多くは「おりかえし」を持つことが特色で、反復による強調とともに、ソング・リーダーが各節の前半を歌い、会衆が後半のおりかえしを歌うという使い方のために便利な構成である。

 曲の面から言えば、旋律的で、大衆受けのする甘美な、あるいはやや感傷的なメロディーと、軽快なリズムを、単純な和声で支える曲が多い。初期の段階を過ぎると、旋律にも和声にもしだいに半音階的な動きが加わってきて、その点、古典的なグレゴリア聖歌やドイツ・コラール、ジュネーブ詩篇歌などの旋律が、全音階的であるのと対照的である。(原恵氏の「賛美歌、その歴史と背景」参照)