福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.6

第三章 新約聖書の音楽

 
 前章では、旧約聖書の音楽の多様性について言及したが、「新約聖書の音楽」においても同様である。新約聖書の音楽は、キリスト教の宣教の拡大とともに、ユダヤ教の枠組みを超えていく意味で、旧約聖書の音楽以上に多様的である。ただ、イエスさまが生きた福音書の時代は、ユダヤ教の保守的音楽のままであった。しかし聖霊降臨以降、ギリシャ世界への宣教が拡大していくにつれ、ギリシャ的な音楽の流れが教会の主流となっていく。

1、キリスト時代の音楽

 イエス・キリストは、神の国の福音を宣べ伝えたお方であるが、聖書のどこを見ても、音楽改革をなさったご様子はない。むしろイエスキリストは、昔ながらの保守的な会堂音楽の影響の下に生きられたのである。この事実が見え隠れする箇所がルカ4章16節であった。ここに「いつものように」会堂に行かれたと記されているが、ここからわかることは、献げられたシェマーや詩篇の朗唱を決して拒否なさっていないということである。ですから、我々は新約聖書のどこ箇所からも音楽改革を見出すことはできないのである。

 またキリストが朗読者として朗読なさっておられるが、恐らく、イザヤ書の御言葉に抑揚をつけて音楽的に朗唱なさったことであろうと思われる。そして、この朗読の前後には、素朴な聖歌を無伴奏の斉唱で会衆と共に賛美したであろうと思われる。また十字架に架かられる前にオリーブ山へ弟子たちと上って行かれたときに讃美した歌もユダヤの習慣で過越の祭り時に歌われる、設定された詩篇唱であろう。

2、ルカのアイネオー

 新約聖書には、8回の「アイネオー」というギリシャ語が用いられているが、うち 6回はルカ文書の中で用いられていたことは興味深い。ルカ文書のアイネオーを歴史順に追っていくなかで、そこに「新しい賛美の流れ」を見い出すことができる。その「新しい賛美の流れ」というのは「直接キリストを喜ぶ賛美」の流れであった。まずこの賛美はクリスマスの天使の賛美から始まっている。まず2章13節において、天使達の直接的にキリスト誕生の事実を喜ぶ賛美に始まり(旧約の引用ではない)、2章20節でそれを受けて、キリスト誕生の事実を確認した羊飼いたちの賛美が捧げられ(旧約の引用ではない)、その流れはペンテコステに繋がっていくのである。そして使徒2章47節において、キリスト共同体としての賛美が捧げられ、最後に3章8節9節において、キリストの御名による御業を喜ぶ上への賛美へと繋がっていく。このようにアイネオーは、旧約聖書の賛美と同様、トン・セオン(神を・・)が必ずくっついてくるが、それと同時にキリストを直接喜ぶ賛美の流れを作っている。

3、ギリシャ音楽の動向
 
 当時の世界の公用語はコイネギリシャ語であった。ギリシャ語というのは、もともとギリシャ神話に強く結びついていた言葉であったが、次第にギリシャ神話との一体性は失われていき、そのようなギリシャ語は、一世紀に聖書の御言葉と摂理的に出会うのである。
ギリシャ語はもともと非常に音楽的リズムと結びついた言葉であった。具体的には、ギリシャ語を話すとき、同時にメロディーとリズムが自然に伴うような言葉であった。であるから、聖書の音楽がギリシャ語で読まれるようになったと同時に、それは自然にギリシャ人の心を捉える歌として、ギリシャ世界に定着していったのである。