青年聖歌149「信仰が持てたら」

 久しぶりに、この曲を聞いた。以前はどこで聞いたのだろう。良い歌だと思った。中田羽後の口語訳はすばらしい。「イエスは神であるのに」も大好きだ。ただ口語訳で率直な場合、そのまま響いてくるので、本当にこの気持ちで歌っているのか、本当に自分は献身しているのか、自分は偽善者ではないか、との問いが聞こえてくるぐらい率直表現が響いてくる。特に4番の「大丈夫かと主はお問いになるが」という表現であるが、「大丈夫か」という、私たちがよく使う言葉なのに、讃美歌には登場しない、この言葉が心に響いてくる。「大丈夫かと主はお問いになるが、私の決意は変わりありません。主の御手のうちにあれば、私にもできます。どうぞ使ってくださいませ。主のそばで何になりと」

 今の時代、クリスチャン同士でも「入り込みすぎるなよ」という空気になったりする。率直な信仰表現はキャンプの時だけにしようという空気もあるかもしれない。牧師だって、カルト化を避けるために、穏健さを強調するがゆえに、この率直な口語体になじみにくくなっている教会もあるかもしれない。しかし、このような率直な表現をする口語体をどう考えるか、である。

 どこの教会だろう、若者たちが、昔の中田羽後の歌を素直に歌っているのが新鮮な感じがする。こんなに若者がいるだけでうらやましい限りである。中田羽後訳を少し変えているが・・・