福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.8

第三章 新約聖書の音楽

4、三つの歌集

C、霊の歌

 それで、一番、理解の困難な歌集は、「霊の歌」である。先ほどの由木康氏は、「霊の歌」は「即興的に歌われた自由な歌」であるとするが、カリスマ運動の方々の一部の人たちは「霊の歌」を彼らの体験から出てきた「霊歌」「異言歌」であるとし、「霊の歌」が「即興の歌」であるという由木康氏の意見を支持する形となっている。他に原恵氏は、「霊の歌」を「原始教会の創作賛美」だとしているが、おそらくそうであろう。詩篇でもなく、聖書中の賛美でもない歌集があるとしたら、原始教会の創作賛美しか考えられない。

 また次のような見解も可能である。それは、この「霊の歌」は、ギリシャ的な歌であろうというものである。カトリックの学者で日本の音楽美学の権威者である野村良雄氏が次のように述べているのは興味深い。「霊の歌とはキリスト教的内容をもった古代ギリシャの文学的な歌謡である。」と言っている。彼らキリスト者にとっての宣教地は、ユダヤだけではなく、ギリシャ世界であった。ペンテコステ以降の歌は、キリスト教の宣教地、伝道対象側の歌であったということである。

 また、次のように考えることによって「霊の歌」に対する理解を深めることができる。それは、「詩篇」は「霊の」をつけることがなくても、霊の詩篇であり、「賛美」も「霊の」をつけることがなくても、霊の賛美であったが、「歌」の場合はそうではなかったのである。「歌」には「霊の」がどうしても必要であった。ギリシャ語の「歌」という言葉は、非常に異教色の強い言葉で、ある神学者は、この言葉を「一般的な用語であったが、東洋的な体質の突然の衝動という意味を含んでいる。」と言っている。また、この言葉は、聖書に一度だけしか用いられておらず、人間的には聖化しきれないようなギリシャ的な感情表現を含んでいる。たしかに、賛美は霊的遺産として、時代とともに聖化されていく。が、聖霊はこのような異教的な音楽を用いた曲をも聖化する力を持つ。そのような意味での「霊の歌」ほど勇敢な戦士はいない。「霊の歌」はそれ自体が宣教的である限り、限り無く多様的な音楽を含むことができるのである。

 私は三つの歌集を見るとき、現代においても、正しい分類化が叫ばれる必要があるし、正しい分類化がなされてはじめて、正しい賛美のバランス取りが可能になっていくのではないかと思うのである。

 例えば、「聖歌」を編集した中田羽後師自身の視点での分類は、「詩」とは、カルヴァンジュネーブ詩篇歌であり、「賛美」とは、「福音唱歌より以前の公式讃美歌」のことであり、「霊の歌」とは「福音唱歌」のことであった。そして、大衆伝道、リバイバル運動の影響を受けた彼は日本において「福音唱歌」の普及に全力を尽した。

 さて、日本の讃美歌はどうだろうか。これは日本の讃美歌だと言えるものがあるだろうか。宣教地の音楽として定着している曲がどれぐらいあるだろうか。一つの教会だけでなく、一つの教団だけでなく、全体に浸透し、全体の教会で日本の地に説得力ある形で歌い継がれていくような歌がどれぐらいあるだろうか。

 例えば、アメイジンググレイスはすばらしい讃美歌であるが、未だに英語の歌詞のまま日本に定着している。日本語に訳した「驚くばかりの」はまだまだ日本語讃美歌として定着したように思えない。今だに翻訳物的であり、我々日本人の曲に到達していないように思う。このような類いの讃美歌は数え切れないほどある。

 そのようななか、最も日本人に定着した讃美歌はやはり「いつくしみ深き」であろう。中田羽後氏が原文に忠実に「罪咎を担う」と訳し、アクセントにも注意して翻訳したが、「罪咎を担う」よりも「いつくしみ深き」のほうが定着した。その理由の一つに、キリスト教結婚式ブームがあったからであろう。「いつくしみ深き」は教会ではなく、結婚式場で歌われていった。一般の日本人に、キリスト教は「いつくしみ深き」だと認識されたのだとするならば、我々は思い切って、「いつくしみ深き」で世に勝負するのも良いだろう。一般の方々が、信じてもいないイエスさまのことを「イエスさまはいつくしみ深い」と歌ってくださるのだとすればこんなうれしいことはない。

 また、昔、駅のプラットホームでクリスチャンたちが歌ったお別れの歌が「今去り行くなれを」であったが、現在は、駅のプラットホームで賛美するライフスタイルを今の教会は継承していないように思う。昔は周りから違和感持って見られても、堂々と駅で100名ぐらいメンバーが歌ったものである。

 また三谷種吉の「ただ信ぜよ」も、路傍伝道というキリスト教ライフスタイルのもとで広がった歌であろう。以前は救世軍が熱心に用いた歌であったが、ただ現在は以前のように路傍伝道が熱心になされているわけではない。

 そのようななか、最も日本語讃美歌として定着したものは、やはり、中田羽後訳でない讃美歌訳のほうのクリスマスソングであろう。中田羽後訳のほうが良い訳であったと言えるが、先に訳されて一般で用いられるようになった訳のほうが定着したのである。私たちの場合も、中田羽後訳を使用していたが、新聖歌に移ったとき、クリスマスソングに関しては、讃美歌訳に移行せざるを得なくなった。

 この「霊の歌」に関する今後の追求は、おそらく「宣教学的アプローチ」と平行して進んでいくことになろう。これからの宣教は、聖書のテキストを携えている私たちが、宣教地文化のコンテキストを理解しつつ宣教せねばならない。となると、ますます我々の宣教は、分散化に向かうことなるであろうが、同時に、世界の都会文化が共通化してきていることにも注目すべきである。我々基督教は、あまりにも都会文化に対して無頓着すぎたのではないか。パウロ的でない無頓着さを持ってきたのではないか。教会は聖なる別空間であるべきだが、それであっても都会文化に対してあまりにも無頓着すぎた。

 と言いつつ、若者文化を容易に絞り込めるような状況ではない。つまり若者文化と言いつつ、すでに若者文化は想像以上に多様化しオタク化している。また宣教地文化を日本文化に絞り込もうとしても、日本人が日本文化を継承できていない現状のなかで、それをどのように用いてくべきなのであろうか。

 「霊の歌」について考えるにあたって、我々は礼拝学と宣教学の基本を身につけておくべきであろう。つまり、礼拝は限りなく統一の方向性に向かうべきである。つまり、どんな文化に生きる人たちも一つに向かうべきなのが礼拝である。と同時に宣教とは限りなく宣教地の文脈に向かうものである。両方のベクトルはいつも正反対に向かっている。礼拝の音楽は、礼拝方向と宣教方向の両方の緊張関係のなかにあることを忘れてはならない。