福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.12

第五章 宗教改革と音楽

2、カルヴァンと教会音楽

 教会音楽史におけるカルバンの貢献は、詩篇の導入ということであった。カトリック中世において、「詩と賛美と霊の歌」の分類でいくと、「賛美」が進展したと思われるが、ちょうど、補囚の民が異国のシナゴグで素朴な詩篇唱を歌い始めたように、カルヴァンの流れも「詩」に帰っていこうとしたのである。

 カルヴァンは、創作賛美は、教会礼拝にはふさわしくないとした。ふさわしいものは、神の言葉である詩篇のみであるとしたのである。たしかに、詩篇は最高の賛美の模範であった。ただ、彼は「礼拝において詩篇のみ」と言ったのであって、他のキリスト教芸術を否定したわけではない。「人間のリクリエイションやたのしみのために適当ないろいろな事柄の中で、音楽はまず第一のものであり、音楽は神がそのために特に取りのけておかれた賜物であるという確信に、われらを導くものである。」(キリスト教綱要)

 詩篇歌は、讃美歌にもあまり採用されていないが、聖歌に20篇採用されたことは注目にあたいする。神学的に正反対のグループが、詩篇歌を導入したのである。ただ日本の会衆には、なじみにくい旋律が多く、歌集には導入されたもののほとんどの教会で使用されていない。

3、アナバプティスト(再洗礼派)と教会音楽

 アナバプティストたちは、ほとんど、教会音楽や讃美歌には貢献していないと考えられている。なぜなら、彼らは体制派の迫害から逃れることで精一杯だったからである。実際に、アナバプティスト達の音楽は一つも残っていない。ただアナバプティストのあるグループの信仰告白に次のような一節があり、ここから彼らの賛美に対する姿勢を伺うことができる。

 「ところが、み霊によって歌うものは、一語一語よく考え、その意味を深く探り、これが用いられるのはどうしたらわけか、どうしたら、それが自分の性質、自分の生活の改善に役立つかなど考え考え歌う。」(フッタライト派信仰告白より)

 彼らが過去の中世の教会音楽のすべてを否定したとき、どのような新しい共同体音楽を実現していったのであろうか。興味深いところではあるが、初代教会の共同体がどのような新しい歌を歌ったかわからないように、彼らもどのような歌を歌ったかわからない。オランダ語、ドイツ語を使用しつつ、500年間、他の多様な文化圏で旅する民として賛美した。彼らは追われた結果、多様な文化圏への同化と異化を繰り返しつつ、独自の音楽文化を形成していった。ただ言えることは、21世紀の段階で彼らだけの音楽はあまり見当たらない。普通のプロテスタント教会の音楽を自分たちの音楽としているように思われる。