福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.2

はじめに

 1980〜90年代、福音派系教会の牧師たちのなかでよく先輩たちから聞かされてきたことは、教会では音楽で問題が起こるから気をつけるように、というアドバイスであった。しかし2010年代になった今、私のなかでは音楽で問題が起こる理由は、教会の「礼拝学の弱さ」、この一点に尽きると確信を持つようになっている。この問題は「礼拝学」によって完全に乗り切ることができる。


 ただ「礼拝学の弱さ」とは言うものの、教派によって異なる礼拝学が存在するわけだから、結局のところ、自分の所属する教派に関する「礼拝学の弱さ」、自分の所属する教派の礼拝学に対する自信のなさということになろう。ほとんどの福音派牧師はこの点でピンとも来ていない。


 20年程前、私は、東京神学大学の礼拝学の大家、赤木善光師の礼拝学セミナーに参加した。そのとき師は、かなり大まかにカトリックの「典礼学」と比較しつつ、「プロテスタントは礼拝学が弱い」と一蹴された。またプロテスタントのなかでは、ルター派は礼拝学が強いと力説されていた。彼がいうルター派だけが強いという理由はこの授業の「礼拝学」の学びのなかで述べたいと思っている。


 ただ、教会の「礼拝学の弱さ」、この一点に尽きるとは言うものの、我々MBは500年歴史を通して、体制教会が主導してきた「礼拝学」に抵抗してきた流れであった。なのになぜ「礼拝学」なのか、である。そこで、我々は「ノン・リタジー」という論法を使用することによって、体制派の「礼拝学」とは異なる「礼拝学」を主張してきたのである。私自身も、この「ノンリタジー」という論法でどれだけ助けられてきたか。つまり通常「礼拝学」という用語は(英語: Liturgy)「レイトゥルギア」(λειτουργια)から来ているが、「礼拝学」を持たない「礼拝学」である「ノンリタジー」というものがあるのだという論法である。この「礼拝学」を持たない「礼拝学」のことを「ノンリタジー」と言い続けることによって、歴史的体制教会(国教会)の礼拝学との無駄な議論を回避してきたのである。


 我々MBは500年前の急進的宗教改革者であった再洗礼派の流れを源流とすることにより、どのプロテスタント教会よりもカトリック典礼学からの脱皮の道を選びとってきた。宗教改革者ツウィングリの礼拝学的脱皮はかなりのものであったが、
そのツウィングリの改革であってもまだまだ不十分だというふうにして、急進的な方向を打ち出したのが、若き再洗礼派(スイスブレザレン)たちであった。がゆえにプロテスタントのなかで最もカトリック典礼学の影響を受けにくかったのが我らMBの源流である再洗礼派(アナバプティスト)たちだったのである。


 しかしながら問題はそんな単純なものではない。再洗礼派の人たちは、カトリック典礼からの脱皮を試みたのではあるが、結果的に再洗礼派であっても、体制教会の礼拝学の影響を無批判に受け入れ続けてきたのも事実である。つまり急進的アナバプティズムを源流とする私たちMBであっても宗教改革までのカトリック時代に引き継がれてきた礼拝形式を完全に否定しきれずにいる。いや聖書時代から引き継がれてきたであろう否定してはならぬものが中世カトリック時代に残されていたと認めてきた面もあった。


 そのようなことも考慮に入れるがゆえに、私たちMBは「私たちはノンリタジーですから」と言いつつも、もう一方で、歴史的リタジーの影響を受けてきたがゆえに、その二つの混同してしまっていつも混乱を経験してきたのである。それで最初に戻るが、教会では音楽で問題が起こるというのは、我々自由教会系の教会が、体制教会の礼拝学を知らぬままに、無批判に導入してきたからなのである。また体制教会の礼拝学を甘くみて、体制教会の礼拝学の影響力下にある音楽家たちを甘く見すぎた結果ではなかろうかと思うのである。であるがゆえに、この授業のなかで、是非身につけて頂きたいことは、リタジーの神学と、ノンリタジーの神学の混同を少しでもなくすために整理するということである。


 少しわかりやすくするために、最初にこの点で私がノンリタジーの歴史を持つ教会であるという確信を徹底することによって、実践面で役に立った事例を少しばかりお話しておこうと思う。


 数年前、私が牧会する武庫川キリスト教会は新会堂を献堂した。この新会堂を献堂するにあたって、教会堂建設プロジェクトチームは、一つの設計会社を選んだ。その設計会社で設計に取り組んでくださった方は30代のノンクリスチャンの女性であった。その女性は柔軟性のある有能な女性だった。彼女は今まで教会建築などしたことのないにもかかわらずこの未知のプロジェクトにチャレンジしてくださったのである。それで彼女は、私から教会建築の知恵を得ようとされた。しかし私はあえて彼女にこう言い続けた。「どうぞ、キリスト教の『教会建築』、殊に『礼拝学』を学ばないでください」と言い続け、キリスト教の礼拝学から注意を反らせたのである。


 それで、この設計士に対して私は、教会でコンセンサスを得た新会堂建設の三つのコンセプトを提示し、この三つのコンセプトだけを共有して頂ければOKですと言い続けた。三つのコンセプトの一つは「ホッとする教会」、二つ目は「多目的の教会」三つ目は「自主活動・多部礼拝に対応できる教会」であった。つまりこの三つとも、全く「礼拝学」とは関係のないものであった。むしろ、これらのコンセプトには、伝道戦略的意図、文化脈的意図はあるものの、礼拝学的な意図は全く入っていなかったのである。


 私は礼拝学の取り扱いに関しては確信を頂いていた。クリスチャン系の設計士にお願いすると、私たち自由教会にとって、必ずしも良い結果が生まれるわけではないということを知っていた。つまり通常、福音派の牧師は礼拝学の研鑽を積んでいないので、キリスト教建築学による、歴史的礼拝学、形骸化された「受肉の神学」の説得力に容易に屈してしまうことになるのである。つまり自教派の「礼拝学」があるにもかかわらず、国教会系列の客観化された文化に占拠されてしまうことになるのである。自分なりにキリスト教建築学の研鑽を積んだ設計士と牧師が同じ礼拝学であることを確認しておれば問題ないのであるが、実際はそうではないことのほうが多い。私は、二千年キリスト教歴史におけるキリスト教建築学、礼拝学の歴史を武庫川キリスト教会に持ち込んでほしくなかった。


 結果的に30代ノンクリスチャンの女性が、私たちの活動に合わせて、一緒に交わりに入ってくださり、最後まで礼拝学的なややこしい議論に入ることなく、柔軟に対応してくださったことを感謝している。私たちにとってのややこしい議論は礼拝学的な議論ではなく、礼拝堂における上履きか下履きかの議論、礼拝堂一階か二階かの議論、つまりどの宣教学的議論のみであった。


 私は福音派教会が新会堂を建設した途端に、新会堂の設計士の設計士なりの神学の影響を受けていくのをいくつも見てきた。簡単なことを言えば、パイプオルガンを導入するならば、それだけで教会の方向性が決まってしまうという事実である。私はロスアンゼルスにある有名な自由教会系の教会に出席したことがあるが、パイプオルガンから醸し出される礼拝学を上手に利用した教会ではあったが、少しばかりもったいない使い方をしていると思ったものである。この教会ではパイプオルガンの足鍵盤はワーシップソングのベース代わりに使われていた。あとは礼拝後の後奏として、皆さんの握手や交わりのバックミュージックしてバッハの名曲を演奏されていた。自由教会として、パイプオルガンから表現される受肉神学に負けないで、パイプオルガンを位置付けしていたことは評価に価するが、何かもったいない気がした。通常はパイプオルガンを入れるならば、教会の方向性は決まってしまうものである。ルター派ならば、教会の方向性は明らかであるが、私たち自由教会は自由に選択する知恵が要求されるのである。




      武庫川キリスト教会新会堂献堂式式次第よりの抜粋

       ホッとする  多目的  自主活動  多部礼拝

 この会堂は、500 年前のアナバプティズム(再洗礼主義)の特徴であった、建物よりも弟子として の群を重んずる伝統に立ち、シンプルな自由教会、敬虔さを追求する敬虔主義の流れの伝統も兼ね備 えた、日本メノナイトブレザレン教団武庫川キリスト教会として、歴史的体制教会のリタジー(礼拝学)の所産を尊重しつつも相対化し、受肉神学についても尊重しつつも相対化した上で建てられたも のです。ですから、自由な気風を保ちつつ、宣教を全面に打ち出した建物となっております。


 私たちはその上で、次の三つの内容の実現を願い、設計して頂きました。一つ目は「ホッとする教 会」、二つ目は「多目的」、三つ目は「自主活動、多部礼拝ができる教会」です。 設計士は我々の意向をよく受けとめてくださり、後には費用の面で予算カットの局面が生じた折り も創造的な提案をしてくださる形で今回のこのようなすばらしい建物を完成させてくださいました。 施工のクサカ建設も様々な提案に対してきめ細かく対応してくださり、例えば、洗礼槽、一階パーテ ーション等多面に渡り、限られた予算のなかで、考え抜かれた匠の業を見せて頂きました。何しろ、 教会と設計と施工が良いコミュニケーションのもとで、今回の新会堂を仕上げて頂いたことが何より も幸いなことでありました。それも浅野建築設計事務所、クサカ建設の並々ならぬご尽力の賜物と感 謝いたします。