福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.30   

10、人へのメッセージの多い福音唱歌をどう用いるか

 よく、福音唱歌はメッセージ性が強いと批判・指摘されるようであるが、人へのメッセージ性が強い曲であるにせよ、絶えず礼拝的でなければならない。私達が伝道音楽を追求していくなかで、尚、詩篇の手法を学び、如何に礼拝と宣教が一体化されているかを学ぶ必要があるように思う。

 

 例えば、詩篇82篇の賛美は、神の正しいさばきについての強いメッセージ性がここにあり、法廷に立つ神の姿が力強く描かれている。神への応答的な言葉は、8節の「神よ。立ち上がって、地をさばいてください。」だけであるが、すべてのメッセージは、この全世界を支配される神に正しいさばきを求める祈りに含まれている。このようなパターンの賛美は福音唱歌の中に多くある。実際詩篇はあまりにも多様であり、福音唱歌の大方は詩篇の表現に含まれるものであり、まだまだ福音唱歌であっても、詩篇の多様性には到達していない。

 

 そのような詩篇の多様性に含まれる福音唱歌をどう用いると良いのであろうか。カトリックのリタジーであるならば、「キリエイレイソン」の位置は礼拝のなかで完成されたものとして決められている。しかし、福音唱歌は礼拝の中で位置づけすることは困難である。なぜならば、福音唱歌はメッセージが多く、1つの曲のなかで、救いから聖化、再臨まで全部含まれた曲も多い。ある曲は説教のメッセージ性よりも強いメッセージを発する曲もある。それで特に説教後の曲選びは困難である。説教と少しずつ焦点がずれる場合が多いからである。私たちの教会は福音唱歌を用いる教会であるが、注意しつつ用いる必要がある。聖歌の強いメッセージ性を如何に利用していくかは非常に大切な点である。

      

 

11、牧師が礼拝を組むなかで何をどのように調整するか

 

  1、礼拝における過度の人間的演出(神の介入の見えぬ礼拝)

  2、礼拝における言葉の重みの欠如(相対化された言葉礼拝)

  3、礼拝における聖書外仲保の導入(御言葉以外に頼る礼拝)

  4、礼拝における礼拝式の一人歩き(口だけを合わせる礼拝)

  5、礼拝における礼拝式断片化傾向(流れに注意しない礼拝)