新しい歌、古い歌

 新しい歌は人には知られていない歌です。古い歌は多くの人が知っている可能性がある歌です。ですからキリスト教会が一つになるためには、古い歌を歌うのが良いでしょう。しかしキリスト教会が宣教していくためには、多様な宣教対象者、多様な宣教対象文化にそれぞれ合わせた新しい歌が良いでしょう。なぜなら、礼拝はいつも中心・統一に向かわせ、宣教は周辺・分散に向かわせるからです。日本のキリスト教会はもっともっとこの両方がひっぱり合って、切磋琢磨していく強い力が必要でしょう。ただ古い歌には「新しい歌」として、新しく歌うというmissionがあると思います。どうして形が決まっていくのでしょうか。どうしてあの歌い方でなければならないのでしょうか。