あらゆる文化を一旦、相対化してみたらどうだろうか

 相対化は絶対化があるから必要です。教会音楽はある程度、相対化していかないと身動きできなくなっていくように思います。「この音楽が御心にかなった音楽だ。」「この音楽が最も宣教的な音楽だ。」「この音楽が最も霊的な音楽だ。」「この音楽が最も聖なるものにふさわしい音楽だ。」「この文化の音楽が最もふさわしい。」「この教派背景の音楽が最も正しい音楽だ。」「この楽器は礼拝音楽にふさわしくない。」「パイプオルガンだけが礼拝音楽にふさわしい。」「礼拝にドラムスは絶対にダメ、いやドラムスは絶対に必要・・・。」ある程度相対化した後、もう一度、聖書から引き出されるバランス感覚を身につけていくことが大切なのではないでしょうか。私たちが信じている以上に、聖書には多様な音楽のあり方があるのです。と言いつつも、キリスト教歴史で歌い継がれてきた賛美文化を尊重することを怠ってはなりません。なぜなら音楽は歴史を超えて霊性を運ぶことのできる尊い道具なのですから・・。