イエスの十字架(聖歌総合版110)

 改めて、中田羽後訳の凄さに圧倒されています。先週、バイクで走っている時に勝手に口ずさんでいました。この曲、一番も二番も三番も、「イエスの十字架」で始まっているのがいい。中田羽後先生が強調したい一番大切な言葉が歌の最初にしっかりと来ているのです。これならば、最初の「イエスの十字架」は絶対に忘れません。最初さえ歌えれば、後は、少しずつ思い出すことができます。それから「イエスの十字架」という言葉は、音の動きが少ないので、歌ではなく、会話のなかでも自然に用いることができるような動きです。もう一つすごいなあと思うのは、三番の最後が「主の十字架は」で閉めているところです。最初は十字架、最後も十字架、なのです。それからこの節も、一オクターブ内で納められていますので、どの調で歌い初めても、最後まで歌い切ることができ、より日常化しやすくなっています。

 

 最初と最後だけ触れましたが、もちろん、どこをとっても、アクセントにこだわる中田羽後師がよくもここまで歌いやすいような言葉を入れ込んでくださいました。私は、中田羽後先生のすばらしい文語体の名訳を大切に残した上で、別に新しい曲をどんどん作っていったら良いと思っているものです。

 

1、イエスの十字架のもとはやすし 砂漠の中なるわが憩い場

激しき日差しとその熱より かくまいて守る我がたてになり

 

2、イエスの十字架の上に仰ぐ 身代わりとなりし神の御子を

心は打たれて言葉もなく その愛のゆえにただひれ伏す

 

3、イエスの十字架を隠れ家とし 御顔の光を絶えず仰がん

この世のものみな過ぎゆくとも 過ぎゆくことなし主の十字架は