牧師と音楽指導者が使用しやすい歌集

 今、どんなコンセプトで歌集を作るのが良いか。牧師と音楽指導者が使用しやすい歌集かなと思う。特に自由教会、ノンリタジー系の教会の牧師が使用しやすい歌集かなと思う。自分の教派がそれぞれ公同賛美歌集を持っていたとしても、教派を超えて、牧師と音楽指導者が購入して頂いて、これなら使えると思って頂けるような歌集かなと思う。

 牧師が使用しやすい歌集とはどんな歌集か。敬虔主義系の牧師ならば歌に関する高い質の情報があると使用しやすいと思ってくれるだろう。また説教の後の歌選びで選びにくさを感じている牧師に選びやすさを提供できればどんなに良いだろう。歌の背景をよく理解した上で適切な聖句が記されているのが良い。今の時代は多くの福音派系自由教会ではスクリーンに映し出される歌集で歌っている。これに関しては是非はいろいろあろうが、がゆえに、歌集を作るからにはスクリーンに映し出されるもの以外の高い質の情報が必要となってくるだろう。例えば、歌集は賛美歌学のテキストになっても良いかもしれない。例えば教派毎に代表的な曲を時系列的に紹介する。2000年の霊性の流れを賛美歌で表現していくのも面白い。また日本で歴史的に歌われた曲に関して適切に選び、時系列で並べるのも面白い。ただこの類いは合議制で作り上げていくのが賢明だと思う。

 また一方で音楽指導者に使ってもらいやすい歌集にするにはどうしたらよいか。まず、青年・中高生たちに向けてどうしても必要なものは、ギターコードだろう。そしてギターで伝統的な賛美を伴奏するための手引きになるような工夫が必要だと思う。もちろん、口語化はどうしても必要だろう。ある文語の歌詞にはわかりやすい注釈をつける必要がある。また歌い方指導も入っているのも良い。それが単なるマニュアルになるのではなく、創造性を引き出すような歌い方指導も入っていたら良い。また何としても、曲を選び出しやすいものにすることが大切である。音楽が苦手な方も曲を選び出しやすい歌集であるべきだと思う。


 そのようななかで翻訳賛美歌の限界にいつものようにぶつかる。翻訳に関して一定の原則をお互いに確認しながら、共に作り上げていく。実際に一緒に歌いながら作り上げていく、のが良いと思う。中田羽後氏翻訳のようなアクセントの課題を口語体でクリアするのはまず無理だと思う。しかし国語に得意な方々、文学に精通している方々の知恵を頂き、何とかクリアできないだろうか。どの歌集もいつも同じ困難さにぶつかるのだと思うが、どんなにすばらしい翻訳をしても、すでに親しまれた古い翻訳を愛する人たちが新しい翻訳を嫌悪するだろう。しかし、そのような人たちでも喜んで頂けるような翻訳を求めていきたい。また翻訳の限界を認識した上で、あえて翻訳から逸脱した歌集になっても良いのではないかとも思う。