自由教会系・ノンリタージカル系

 私の所属するメノナイトブレザレン教団は自由教会系です。また礼拝学を持たないノンリタージカル系とも言えましょう。でも通常は自由教会系・ノンリタージカル系であっても、制度化、形式化、保守化、していくことになります。当然のことです。ところがそこで面白い現象が起こってきます。自由教会系は厳密な歴史的礼拝学から解放されたかのようにして礼拝をするのですが、通常は無批判に、国教会系、リタージカル系、ある教派から形式を借用して礼拝を作っていくことが多いのです。クリエイティブに礼拝をしていると思っている教会であっても、ある時代のある形式を真似ていくのです。良いことだと思います。ただノンリタージカルに生きるとはどのようなことなのかを教会なりに理解しておく必要があると思います。

 また私たちの教会でも次の面白い現象もあります。この十年私たちの教会では献金の歌として、ある超教派カリスマ系の教会が歌っている「明日を守られる主」を献金の歌として借用させて頂いています。そうするとこの間、クリスチャンになった方々は、献金の歌は「明日を守られる主」だと思い込んでしまうのです。ある場合は武庫川キリスト教会で歌われている曲というだけなのに、教団の権威で選ばれた曲のように思ったり、何百年も昔から歌い継がれているような歌だと思ってしまうのです。ある場合、最初の開拓宣教師の歌い方、個性あふれる初代牧師の歌い方が50年も継承されたりするわけです。ですからノンリタージカル系の教会は、いろいろ創造的に礼拝をしていったらよいのですが、自分たちのしている現実は理解しておくのがよいと思います。それから、自分の所属する教派が自由教会系ならば礼拝の変化慣れを上手にしていく必要があると思います。突然変化するのではなく、少しずつ変化を加えて変化しても良いのだという空気感を教会のなかに作っておく必要があると思います。自由教会系は完成系に近づくと身動きできなくなるからです。