福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.30   

10、人へのメッセージの多い福音唱歌をどう用いるか

 よく、福音唱歌はメッセージ性が強いと批判・指摘されるようであるが、人へのメッセージ性が強い曲であるにせよ、絶えず礼拝的でなければならない。私達が伝道音楽を追求していくなかで、尚、詩篇の手法を学び、如何に礼拝と宣教が一体化されているかを学ぶ必要があるように思う。

 

 例えば、詩篇82篇の賛美は、神の正しいさばきについての強いメッセージ性がここにあり、法廷に立つ神の姿が力強く描かれている。神への応答的な言葉は、8節の「神よ。立ち上がって、地をさばいてください。」だけであるが、すべてのメッセージは、この全世界を支配される神に正しいさばきを求める祈りに含まれている。このようなパターンの賛美は福音唱歌の中に多くある。実際詩篇はあまりにも多様であり、福音唱歌の大方は詩篇の表現に含まれるものであり、まだまだ福音唱歌であっても、詩篇の多様性には到達していない。

 

 そのような詩篇の多様性に含まれる福音唱歌をどう用いると良いのであろうか。カトリックのリタジーであるならば、「キリエイレイソン」の位置は礼拝のなかで完成されたものとして決められている。しかし、福音唱歌は礼拝の中で位置づけすることは困難である。なぜならば、福音唱歌はメッセージが多く、1つの曲のなかで、救いから聖化、再臨まで全部含まれた曲も多い。ある曲は説教のメッセージ性よりも強いメッセージを発する曲もある。それで特に説教後の曲選びは困難である。説教と少しずつ焦点がずれる場合が多いからである。私たちの教会は福音唱歌を用いる教会であるが、注意しつつ用いる必要がある。聖歌の強いメッセージ性を如何に利用していくかは非常に大切な点である。

      

 

11、牧師が礼拝を組むなかで何をどのように調整するか

 

  1、礼拝における過度の人間的演出(神の介入の見えぬ礼拝)

  2、礼拝における言葉の重みの欠如(相対化された言葉礼拝)

  3、礼拝における聖書外仲保の導入(御言葉以外に頼る礼拝)

  4、礼拝における礼拝式の一人歩き(口だけを合わせる礼拝)

  5、礼拝における礼拝式断片化傾向(流れに注意しない礼拝)

福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.29   

9、賛美に人へのメッセージはあるのか

 

 礼拝を組むなかで整理しておかねばならないことは、やはり、聖歌に多く含まれている「福音唱歌」の問題である。「福音唱歌」は、メッセージ性が強くあり、本来の賛美が、人からの神へのいけにえとされている方向性と異なる面があるとよく指摘される。ある曲は「人から神へ」というよりも「人から人へ」のメッセージであるしか考えられない曲もある。またある歌は説教に節をつけたような「神から人へ」の賛美もあるように思える。

 

   A、賛美に人へのメッセージがある。

 

 「賛美のお手本」である詩篇は、主にある経験から沸き出した豊かな信仰告白の集大成である。詩篇には「主よ」という直接的な呼び掛けもあれば、「主に感謝して、御名を呼び求めよ。その御業を国々の中に知らせよ。」と言った人々への語りかけのようなものもある。このように、最高の信仰告白である詩篇は、神に向かってなされた信仰告白であるとともに、同時に人に向かって、なされた証しとしての信仰告白として書かれている。

 

 そのように賛美の人へのメッセージと神への応答は、詩篇においてみごとに一体化されている。ただ、一体化と言うものの、人へのメッセージがひとり歩きすることは、それが賛美である限り決して認められることではない。

 

 また、新約で考えてみるならば、「福音のために何でもする」と語ったパウロが宣教のために最高の道具である音楽を用いなかった理由はないということも考慮に入れるべきである。おそらく、新約聖書成立以前の賛美は、多くのケリュグマ(福音)が道具としての音楽に乗って語られたであろうと推定されている。また第一テモテ3章16節もそのような賛美の一部であると言われている。また、ある曲は、思いきって、賛美として音楽を用いるのでなく、説教として音楽を用いるという発想で、「神から人」向かう説教のなかに賛美を入れても面白いのではないかと思う。

 

    B、賛美には礼拝統一のための人へのメッセージがある。

 

 「宣教」は多様性の追求であり、「礼拝」は統一性の追求である。パウロは、コリントの教会が異言により礼拝の統一性を欠いたために、14章において、次のように述べている。「また、知性においても賛美しましょう。」これは、礼拝の統一のために、お互いの徳のために、教会においては、「わかる歌詞」で賛美するようにとのお勧めである。「わかる歌詞」でないと、決して礼拝の統一を図ることはできない。神にのみわかる言葉で賛美すればよいのではないかとの考えは間違いである。また現代で言えば、わからぬ文語体のままで良いと満足している教会があるならば、恐らく、その教会の礼拝は統一性を欠くか、統一できるものだけの排他的な集いとなる危険がある。

 

福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.28    

8、礼拝の流れ

 5において、基本的な部分の内容を述べたが、実際は各教派により、意味することは異なっている。つまり上記の内容はその礼拝式の順番、流れによって意味が異なってくるのである。そこで礼拝式の順番と流れについて、ここで触れてみよう。私達のようなノンリタージカルの教会が礼拝式を組んでいく場合、最も注意すべき点は、リタジーの中に見られる「流れ」の点である。歴史的教会がリタジーを形成してきた過程にも豊かな「流れ」があった。「流れ」の点で注目すべきことは、視点は、「人から神へ」流れる流れ、「神から人へ」流れる流れ、「人から人へ」流れる流れ、の各部分の配置がバランスよくなさるということである。これは礼拝の基本的なことである。

 

     神から人へ・・・・恵み、啓示、説教、聖書朗読、祝祷

     人から神へ・・・・賛美、祈り、献金、献身、感謝、応答

     人から人へ・・・・挨拶、報告、紹介

 

 例えば  

         賛美     人から神へ

         聖書朗読   神から人へ

         賛美     人から神へ

         説教     神から人へ

         賛美     人から神へ(説教の応答としての賛美)

         献金     人から神へ(説教の応答としての祈り)

         報告     人から人へ

         賛栄     人から神へ(礼拝全体の応答としての賛栄)

         祝祷     神から人へ・人から神へ

 

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.27

7、礼拝の内容

 次にあげる礼拝の内容はリタージカルの教会から意味を抽出したものである。特に、日本のほとんどの教会が影響を受けているツウィングリーの礼拝改革の流れ基づいて、長老改革派教会が提示したものをもとにして、記したものである。私たちはこの意味をどう受け止め、創造的な礼拝をするかを考える必要がある。

 

    1、前奏

 礼拝の前奏はショーファルの機能から生じたものと解するのがふさわしい。つまり、ショーファルが礼拝開始の合図であったように、前奏も礼拝の合図と考えるのが正しいと思われる。また、奏楽は礼拝の定刻に弾き出すのが良いか、それとも、その前に弾き出すのが良いかとの議論があるが、礼拝の合図であるなら、礼拝の前から弾きはじめるのが妥当であろう。日本においては、前奏は黙想の時となっているが、心落ち着けて礼拝に臨むのを奏楽が助けるというのは日本独自のもののようである。

 

     2、招きの言葉

 「招詞」とか「礼拝招致」と言う教会もある。礼拝は神によって招かれて始まるものであるので、これを持って始める。詩篇など2、3節を朗読する場合が多い。この招きに対して、礼拝に招かれた者達は、頌栄をもって、これに答えるのである。ノン・リタジーである私たちの教会では通常、プログラムには入れていない。

 

 

   3、頌栄

 頌栄は、前述したように、招きの言葉に対する答えである。頌栄は、讃美歌というものの基本的性格を教えてくれる。なぜなら、大体、頌栄というのは父と御子と御霊の三位一体の神を讃美するものだからである。アメリカの自由教会では頌栄をプログラムに入れない教会もある。しかし頌栄が意味するのは、我々の教会は公同(カトリック)の教会であり、三位一体の教理においてもぶれることない異端ではない教会であるというサインなのである。

 

     4、聖書朗読

 説教は礼拝の中心であるが、聖書朗読は中心である説教の前座ではない。説教は礼拝のメインエベントであり、ハイライトである。ドイツの教会では、讃美歌は座ったままで歌うが、聖書朗読は、全員立ち上がって、朗読される神の御言葉に静かに耳を傾ける習慣を継承している。また、いざ聖書朗読の時になってから、バラバラと聖書をめくってあちこち捜したりするのは、慎むべきだと注意を受ける場面もあるという。私たちの教会では聖書朗読をどう位置付けるべきだろうか。

 

   5、献金

 神礼拝は、献身において最高潮に達する。この献身のしるし、献身の表れとして献金がある。献身のない礼拝は礼拝とは言えない。啓示とレスポンスが交互になされるなかで礼拝の流れが組まれていくのであるが、献金はどの位置になるか、全体から検討する必要がある。またMBでは献金の前に献金の祈りがなされているが、他派では、献金の後に献金の祈りがなされることが多い。

 

   6、報告

 報告も礼拝の重要な一部であるか否かの議論がある。報告は礼拝の重要な一部であるとする場合、礼拝は、お互いの横の関係を含むべきであるという主張に基づいている。ただ、報告の位置をどうするかを考慮する必要がある。ある教会では説教前に行うが、ある教会は説教後に行う。最近のアメリカの自由教会系の教会では礼拝の前にITを駆使した形での報告がなされている。

 

  7、祝祷

 

         A、「祈り」という理解  

    つまり「閉会の祈り」に相当すると理解する。また「祝福を求める祈り」の短縮形と考えるとよい。これが一般的な理解である。この場合、下から上に向けてなされるものである。

 

         B、「祝福の宣言」という理解   

    神が祭司に命じられた神の祝福の言葉であるとする。祝福は本来「神の民に対する神の祝福の宣言」である。また「派遣の言葉」という意味に解することもできる。この場合、上から下に向けてなされるものである。その場合、司式者は「我ら」というか「汝ら」というか、も掘り下げて考慮すべきであろう。 ※祝祷には、アロンの祝祷(民数記6章24~26節)とパウロの祝祷。(第二コリント13章13節)の両方が用いられる。

 

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.26

             第八章 礼拝学

 

 「礼拝学」は、その名のとおり、礼拝に関する研究をする、キリスト教神学に属する1学科である。しかし、日本においては、自由主義陣営でも福音主義陣営でも「礼拝学」の研究は遅れている。私たちMBも、礼拝学を重んずる教会ではなかったので、歴史の中で執り行ってきた伝統的礼拝式の確立に関心はなかった。しかし自由な形式の礼拝を追求できる私たちだからこそ、「礼拝学」を学ぶことは非常に重要である。「礼拝学」の学ぶための目のつけどころはどこか。礼拝学の難問は何か。それは「公同」(カトリック)とは何かを共に考えていきたい。

 

 

1、礼拝の定義

 

「『イエスキリストにあって人間の魂に向けられた神の行為』と『イエスキリストを通してなされる応答としての人間の行為』という二重の行為のことである。」(メソジスト派のポール・W・フーン)

 

「礼拝とは『会衆に対する神の奉仕としての礼拝』『神のみ前における会衆の奉仕と としての礼拝』の二重性のこと」(ルター派のペーター・ブルンナー)

 

「『礼拝こそが救済史の要約であり、礼拝こそが教会を教会そのものとならしめ、教会の自覚を生み出し、教会の本質を告白することを可能にするものであるからこそ』 礼拝とは『普遍的教会の顕現』を意味する出来事なのである。」(ジャン・ジャック・フォン・アルマン)

 

「礼拝とは、それがいかなる種類や内容をもつものであるにせよ、被造物による『永遠なるもの』への応答のことである」(カトリックのイヴリン・アンダーヒル

 

 「キリスト教礼拝とは聖なるものの呼びかけ、すなわち、キリストの贖いのわざにおいて最高潮に達した、神の『力ある行為』に対する人間の応答のことである」(ジョージ・フロロフスキー)

 

「礼拝にける第一義的な主導権は人間の側にあるのではなく、キリストにおいて聖霊を通して働く神の贖いのわざにある」(正教会のニコラス・A・ニシオティス)

  

2、聖書における礼拝用語

 旧約聖書での礼拝行為を表す原語(シャーハーハー)「低くする、拝む、ひれ伏す」は旧約聖書中94回用いられ、「宗教的な崇敬、服従、奉仕の動作の伴った精神」または、「動作、或はその両方で尊敬を表す」言葉である。新約聖書での礼拝行為を表す原語(プロスキュネオー)「崇敬と崇拝のしるしに手に口づけする」は新約聖書中 59回用いられ、動作が伴なう礼拝という意味が(シャーハーハー)よりも目立っている。また「恐れ」を語幹とする(セボマイ)「尊敬する、崇める」と「仕える、礼拝式を行う、ささげものをする」(黙示録7章15節)の意である(ラトリューオー)という原語も用いられている。

 

 

3、シナゴグにおける礼拝

 ユダヤ教のシナゴグ礼拝がキリスト教の礼拝に影響を与えたであろうことを確認するために次にシナゴグ礼拝の式の内容を列記しておこうと思う。私たちの礼拝の形は多様であったとしてもシナゴグ形式の流れを組んだものであった。つまり私たちがノンリタジーであっても、リタジーの歴史を無視することはできない。

 

      1、シェマーおよび三つの祝福

      2、18祝祷

      3、トーラー(律法)朗読

      4、アラム語への通訳

      5、ハフタラー(預言者)朗読

      6、説教(律法学者が受け持つ)

      7、アロンの祝祷(民数記6章24節)

 

 

4、初代教会における礼拝

 初代教会の礼拝について、特にリタジーは断片にしか見られない。時代により、地域により、さらに場合によって、違った様式をもっていたであろう。そして150年頃のユスチニアヌスのアポロギア65章によると、バプテスマに続いてすぐに聖餐が行われ、それは日曜の礼拝の主部と頂点を形成している。また67章では神の言葉の礼拝の後で聖餐が守られ、それはイエス・キリストの犠牲の死の記念とされている。そして、ここに最初の、もっともまとまったリタジーが見い出される。

 

      1、使徒書や預言書の朗読

      2、司会者の勧告的説教

      3、祈り、全員起立

      4、平和のキッス

      5、パンとぶどう酒が水と共に捧げる

      6、これに対する祈り

      7、パンと杯の分配、コンミュニオ

               シナクシス(紀元150年~200年)

 

 

 

5、宗教改革と礼拝

    

カトリック

化体説

聖餐が中心

聖餐は恵みの手段

ルター   

共在説

説教が中心

聖餐は恵みの手段

ツウィングリ

象徴説

説教が中心

聖餐は恵みの手段でない

説教が恵みの手段

 

 上記の宗教改革時における聖餐論争は現在の礼拝に大きな影響を残している。カトリック教会は化体説(司祭が祈るとパンがキリストの体に変わり、ぶどう酒がキリストの血に変わるという説)を主張し、彼等の言う聖餐式を礼拝の中心に置き、(つまりミサ)聖餐なしの礼拝などあり得ぬとする。しかし私達はツウィングリの象徴説を聖書的だと信じ、聖餐式カトリック的な神秘性を否定し、聖餐式の記念的な意味を重視し、聖餐式を大切にしつつも、神の御言葉が語られる説教を礼拝の中核に置いている。現在日本のどのプロテスタント教会の礼拝もツウィングリの礼拝形式から強い影響を受けている。またツウィングリの若き弟子達はアナバプティズム(私たちの流れ)の源流となっていくが、このツウィングリの礼拝改革の流れを徹底していった人達である。

 

 

6、リタジー・ノンリタジー

 リタジーとは「礼拝学」の意味である。であるから、礼拝学を学ぶということはリタジーを学ぶということであると理解するのが普通であろう。しかし、そのような理解であると、ノンリタジーの礼拝学などあり得ないということになる。私達MBの流れはノンリタジーの流れであるが、ノンリタジーである私たちも礼拝学をする必要がある。つまりリタジーの伝統を参考にしながら、私達はリタジーの立場ではできない、創造的な礼拝を造り出す必要がある。

 

 さてリタージカルとは具体的にどうゆうことであろうか。形式的な礼拝をしている教会ということであろうか。そうではない。リタージカル礼拝には積極的な意味がある。それをここでまず学んでみよう。リタージカル・チャーチには次の共通する礼拝観がある。白石剛史氏が五点にまとめているのでそれを参考にしたい。

 

 

1、受肉の神学 見えない神が見えるイエス様になられたように、見えない霊的なものを見える建物・時間・芸術・香りなどで五感に感じる形で表現する。

 

 2、キリストの事件・・・受肉・受難・十字架・復活が礼拝の中心であり、このようなイエス様の事件を礼拝で再現、再体験する

 

 3、少なくとも1年の見通しをもって礼拝を準備する。つまり教会暦に従って礼拝が計画されます。福音派のようにアドベント、クリスマス、受難週、イースター・ ペンテコステだけではなく、毎週に意味を持たせます。ただキリストの事件を中心に組まれているので、母の日礼拝などは含まない。

 

4、公同の教会としての礼拝の実践世界どこに行っても、原語は違っても同じ式文と言う公同意識がある。

 

    5、祈りの訓練  祈祷は自由祈祷ではなく成文祈祷。この教会では感情に流されない訓練を受けることになります。上記のリタージカルな教会に対して、私達福音派の教会は次の特徴的傾向を持ちます。(白石剛史氏)

 

            1、説教と聖書朗読中心傾向

            2、知的傾向

            3、視覚に訴えるものを危険視する傾向

            4、聴覚に訴えるものを強調する傾向

            5、会衆が聴衆になる傾向

            6、礼拝と集会の区別が困難となる傾向

 

福音聖書神学校「礼拝と音楽」No.25    

第七章 日本プロテスタント教会音楽史

 No.25 現代日本福音派賛美の問題点   

1、固定化・形式化の問題

 聖歌の用い方において、「福音唱歌」の「福音唱歌」としての特性が生かされていないのが現実である。つまり、「福音唱歌」はリバイバル運動と平行に成長してきた歌集であったにも関わらず、本来の自由性からかなり離れ、固定化・形式化に向かっている。「福音唱歌」はもっと自由性と即興性を回復すべきであるように思う。また聖歌にはある程度の即興的伴奏が望ましい。聖歌が聖歌らしくない。無理もないであろう。本場のアメリカにおいても聖歌は聖歌らしくなくなった結果、伝統的な讃美歌に合流し、CCMとの狭間で居場所を失いつつある。

 

2、文語の口語化の問題

 「わからない賛美」というのは、決してプロテスタント的ではないし、聖書的でもない。プロテスタントは、ルターにより分かりやすい自国語賛美が導入されたことを特徴としているのである。しかし、実際は、わからぬ歌を歌っているのが現状である。日本文化的観点から見ると、わからぬがゆえに宗教性を感じ、ありがたい、という面もあるが、それは決してプロテスタント的ではないがゆえに、これからどのように「よくわかる」ものを作るかが課題である。「わかる」がゆえに軽く扱われ、「わからない」がゆえに宗教性を感じる日本人にどのように切り込んでいくか、である。敬虔主義的な福音唱歌は口語にすると厳しく聞こえる。つまり文語であるので曖昧にすることができたということがある。

 

3、個人翻訳編集の問題

 聖歌は聖潔派である「福音連盟」が母体となっているが、同時に福音派の歌集でもある。しかし、これは中田羽後師の個人訳という個人が色濃く出てきている名訳の歌集でもある。それがゆえに、なかなか、思いきった改訂ができないできた。「新聖歌」は中田羽後訳からの脱却という意味では、少しばかりの進展があった。「教会福音讃美歌」は完全に中田羽後師から脱却できた福音派の歌集である。つまり、中田羽後訳は多様な訳のなかの一つになった。中田羽後の召天日が1974年7月14日なので、50年後の2024年に著作権の効力が切れる。

 

4、説教との分離の問題

「説教とぴったりあった賛美がない」と声が聞こえる。これは重大な問題である。賛美が説教を助ける意味で用いられるとしても、説教の応答として用いられるにしても、説教と賛美の密着性が保たれなければ、日本の礼拝の将来はないのである。また実際、神学的相違のために選択できぬ歌もある。我々は聖歌を歌う場合、聖潔派の人々の影響を少なからず受けているが、それを最小限に留める必要もある。ただ、福音派の福音の提示に忠実に生きるならば、今までの聖歌を繰り返して歌うことの効果も捨て難い。ただ今一番問題なのは説教者がひっかりあった賛美がない、と悩んでしまうほど、讃美歌に神経が注がれていないことである。これは説教を準備する牧師側の視点である。

 

5、芸術活動(創造活動)欠如の問題

 福音派においても、日本人による賛美歌創作が少ない。たとい創作があっても、本格的礼拝歌集はなかなか、日本人による創作を取り入れない。ある曲は大衆性に恵まれているが、芸術性に欠けるという理由で、また、ある曲は芸術性は恵まれているが、大衆性に欠けるという理由で取り入れられていない。また、取り入れられたとしても、諸教会が十分に用いなかったり、広げようとする教育が全くなされないままに、埋もれてしまう事例がかなりある。そして、結局は翻訳物がいまだ中心となっているのである。新しい歌集が発行されてはいるが、新しいタイプのアメリカの「福音唱歌」の寄せ集めの域を脱していないようにも思われる。そのようななかで一番危惧するのは以前よりも歌集が発行されなくなってきているということである。初代教会時代に匹敵する日本の教会ではこれからも様々な賛美の試みが繰り返される必要がある。

 

6、日本的な賛美の問題

 これぞ日本人が作り出した賛美形式というものがない。スイスで詩篇歌形式が発達し、イギリスでチャントが発達し、アメリカで福音唱歌が発達したように、日本ならではの賛美の発達が必要である。アメリカの偉大さはアメリカの中で伝統的賛美歌からCCMまでを生み出したという偉大さがある。そこには信仰のムーブメントがあり、その歴史が彼らの賛美歌を生んできた。ニグロスピリチャル級の賛美歌を日本は生み出すことができるだろうか。今まで、日本古来の曲に歌詞をつけることも試みられたのであるが、すべて失敗している。さて日本にはどのような賛美が文化に根付いていくのであろうか。宣教のために思い切った発想の賛美形式の実験がなされないといけない。

 

    

 

 

 

福音聖書神学校「礼拝と音楽」 No.24

第七章 日本プロテスタント教会音楽史 No.24

 

 日本プロテスタント教会音楽史をどのような観点から学ぶのが良いのであろうか。キリスト教禁制が解けて、開国がなされた時に、日本に訪れた宣教師たちは、アメリカの霊的覚醒運動、敬虔主義の影響を受けたアメリカの福音主義的な宣教師が多かった。しかし、そのようななかで、しっかりと教会に根付いたキリスト教会を作りあげていったのは、横浜バンドの流れ、つまり改革長老の流れであり、現在の東京神学大学の流れであった。この流れはカルビニズムの神学を掲げるものの純粋な福音主義ではなく、準正統主義的な立場で歩んでいく。であるから、他教派の影響もあったのであるが、その流れを強く反映する形で、他の教派を包括する形で賛美歌が編集されていった。そのようななかで、アメリカ生まれの福音唱歌をどう取り扱うかはいつの時代でも大きな課題であった。また社会主義の影響、日本化、土着化の影響なども賛美歌編集に大きな影響を与えていく。戦争時において、天皇を賛美する「興亜讃美歌」が発行されるまでに終戦を迎えることができたことは、何と幸いなことであったか。

1853年 日本で最初に聞こえてきたプロテスタント讃美歌は、黒船でのペルー総督達による「こよなくかしこし」(このメロディーは賛栄で有名)であろう。後にこの船に乗り合わせたゴーブルが宣教師として来日、マタイ伝を訳し、讃美歌も作る。
1861年 ヘボン博士は日本人に西洋音楽を教えたが、当時はなかなか思うように教育できず、「日本人は西洋風の旋律は歌えない」と悲鳴をあげる。
1872年 宣教師会議にて日本語の最初の讃美歌が試訳が紹介される。「エスワレヲ愛シマス、サウ聖書申シマス」
1874年 各地で日本語賛美歌集が発行される。
1881年 長老派・改革派が日本最初の委員会組織で編集された歌集「讃美歌」出版。
1882年 会衆派の諸教会は「讃美歌並楽譜」出版。これは日本で初めての楽譜付きの歌集である。
1884年 メソジスト派の楽譜付き歌集「基督教聖歌集」出版
1886年 メソジストのデビスン師が57577調に合う曲を加えた讃美歌を出版し、古来の伝統旋律を取り入れる。「今様」「数え歌」
1891年 聖公会の「聖公会讃美歌」出版
1894年 長老派、組合派の2派合同讃美歌「「新選讃美歌」出版
1896年 バプテスト派の「基督教讃美歌」出版、山室軍兵師が「救世軍軍歌」を出版
1897年 笹尾鉄三郎が「救の歌」を出版(バックストンが大修正を加えて)
1900年 初めて共通讃美歌「讃美歌」出版。花鳥風月的表現が多く、また福音唱歌がかなり多く採用されたことによって、全般的に叙情的、主観的、日本的な傾向の強い歌集となった。
1901年 三谷種吉師によって「福音唱歌」出版「沖へいでよ」「ただ信ぜよ」「神はひとり子を」はここから出た。聖公会の「古今聖歌集」出版
1909年 中田重治師が「リバイバル唱歌」出版。4重の福音を強調
1920年 三谷種吉師が「基督教福音唱歌」出版。(バックストン師が三谷師に教えたサンキー編の「ゴスペルソング集」による)三谷種吉師が「福音音楽隊」を組織し、福音唱歌の普及に努める。
1922年 「霊感賦」が三谷師により出版。
1923年 中田羽後師が「リバイバル唱歌」を改訂し、「リバイバル聖歌」出版
1931年 讃美歌大改訂 1、日本人の創作曲を加える。2、世界教会的にいろいろな国の賛美を取り入れる。3、翻訳に関してはリアルな表現を取り去る。
4、客観的、聖書的な方向への引き戻しをねらう。
5、社会福音的な賛美を取り入れる。
1943年 「興亜讃美歌」大東亜戦争を「聖戦」とし、当時の国是たる「八紘一宇」(天皇の指導下に世界を一軒の家のようにする)の精神をキリスト教神の国と無理に結びつけたような、本来の讃美歌を著しく逸脱した奇形讃美歌集。
1954年 現行「讃美歌」出版。伝道的な歌や、合唱に適するものは比較的少ない歌集となっている。
1958年 中田羽後師の個人訳である「聖歌」出版
1965年 中田羽後師により「インマヌエル讃美歌集」出版
1964年 「讃美歌第二篇」出版、歌詞主査は藤田昌直、曲主査は奥田耕天
1969年 中田羽後師により聖歌普及のための機関誌「聖歌の友」一号が発行される。
1976年 「ともに歌おう」出版、教団讃美歌委員会が新傾向の讃美歌集として世に問うた。1970年 ゴスペルフォークが若者を中心に普及し始める。山内修一師が「友よ歌おう」を何年にも渡り、発行し続ける。師は「伝道音楽」の重要性を主張し、福音唱歌的な路線で創作活動を続けたが、その「福音唱歌」の流れから強い反発を食らうことになる。福音唱歌が公式的な賛美の域に到達したという理解からであろう。
1971年 日本伝道会議において、「友よ歌おう」をめぐり、議論が分かれる。また、この頃からペンテコステ派・カリスマ派傾向の教派を中心に「御言葉ソング」が歌われるようになる。単純な御言葉そのものに単純なメロディーをつけたものを何度も何度も繰り返すといった歌い方で歌う。この流れが小坂忠氏の初期の賛美活動にも受け継がれていく。
1972年 和田健治師(聖歌の友の後継者)により「青年聖歌」発行。
1980年頃東京キリスト教短期大学音楽科が福音派短大の唯一の教会音楽教育機関として
出発(主任教授 天田繋氏)、同時に、神学舎教会音楽科も出発。
(主任教授 岳藤豪希氏)
1990年 いのちのことば社より「リビングプレイズ」発行。ワーシップング普及を目的にまずテープを中心に販売。小坂忠氏もこれとは異なる方法で、ワーシップソング普及に努める。

1991年 日本伝道会議にて有賀喜一師、天田繋師が発題。「第三の波」等に見られる自由な賛美の流れ(有賀)と、賛美の文化性(天田)の両面が強調された。その後、自由な賛美の流れを強調する聖霊運動福音派を二分していくこととなる。
1997年 「讃美歌21」出版 エキュメニカル的な視野、多文化的な視野。(共同体、平和と正義、人権、被造世界の回復、統合、差別等)NCC系の教会でも以前の賛美歌を使用する教会と賛美歌21を使用する教会、両方使用する教会と分かれていく。
2001年 「新聖歌」出版、日本福音連盟が出版、福音連盟の諸教派のお家事情が反映し聖歌的なものと讃美歌的なものの両方を取り入れた形となる。また中田個人訳の色を薄める方向となる。英国的な礼拝学を視野に入れた聖潔派の伝統に近づけた感がある。
2003年 日本バプテスト連盟が「新生讃美歌」出版。長い時間をかけて試用版の合本として完成させる。アメリカの南部バプテストの色合いと分離の色合いの両面が感じられるが、福音唱歌風の音楽とこの時期の日本バプテスト連盟の信徒が創作した新曲が多数収められた。
2003年 和田健治師の「聖歌の友」によって「聖歌総合版」が出版される。福音唱歌の流れ、中田羽後訳の良訳の伝統に立った歌集に固執したことにより、今後も文語体からの脱却は不可能な歌集となったが、ギターコードなどを入れて、次世代に対するアプローチも行われている。しかし、今回の発行を持って、福音連盟(聖潔派の連盟)とは別の福音唱歌独自路線を明確化させたことにより公同意識を持たせる歌集としては力を失っている。
2006年 「日本聖公会聖歌集」出版
2012年 「教会福音讃美歌」が福音讃美歌協会より出版、推進した中心的な教派は、日本福音キリスト教会連合、日本同盟教団、インマヌエル綜合伝道団。